自殺をすれば、今の苦しみから逃れられると思っている人たちがいるようですが、これは大きな間違いです!
また、たとえ死んだとしても、すぐに生まれ変われると思っている人たちがいるかもしれませんが、それも間違いです。
人間は自分の意思でそうやすやすと生まれ変われないのです。
最近はインターネットで知り合ったもの同士が、一緒に自殺してしまったり、
電車に飛び込んで自殺してしまったりする人たちが増えて来ましたが、これは本当に困った現象です。
自殺願望の人たちは『死』というものを、どう理解しているのでしょうか?
ゲーム感覚で死んでもすぐに『リセット』されると思っているのでしょうか?
それとも、二度と生まれ変わりたくないと思って『死』を選ぶのでしょうか?
私の霊視によると、この世から逃避(自殺)した人間の魂は、自分で考えていたようにはうまくいかないようで、
苦しんだあげくさ迷い続け、自分の苦しみを分かってくれそうな人を探し求めているようです。
しかし、理解してくれるような人はなかなか見つからず、もがき苦しみながらさ迷い続けているみたいです。
自殺した人間の身内の者が、霊視を受けに来れば幸いですが、
大概の場合は、身内の恥とばかりに自殺した人間の事は隠されてしまいます。
つまり、闇から闇へと葬られてしまうのです。
それゆえ、自殺した人間の魂は益々『寂しい魂』へと増長されていくわけです。
ですから、自殺した人たちの魂はなかなか癒されないのです。
我々のような仕事(拝み屋)をしている者たちは、世間からは疑わしく思われているために、
自殺した人間の身内の者も、なかなか我々のもとに辿り着けないようです。
霊視をしていると、様々な自殺をした人たちの霊が現れる時がありますが、
そのような時は、我々の体も自殺した人の苦しみや痛みと同じ状態になりますから、かなりのダメージを受ける事になります。
私の父方の祖母は福島県福島市の飯坂町(飯坂温泉のあるところ)で霊視やお祓いをやっておりました。
当時は霊視という言葉はありませんでしたから【拝み屋(おがみや)】として生きていました。
拝んだお礼は、米や野菜や魚だったようです。
なんだか、とても微笑ましいですね。
私は霊能者の血をひく身として『霊能者』として生きているわけですが、
職業としては社会的に認知度が低いために、色々な所で誤解されてしまう事があります。
これも霊能者としての宿命として受け止めながら、少しずつでも『一つの職業』として社会的に認めていただけるように、
認知度を高める努力していきたいと思っています。
身内に自殺した人間がいる方々も、自殺した人を隠し続けるのではなく、
自殺して苦しんでいる人を救うためにも、是非自殺した人間の気持ちを癒すために供養を怠らないでください。
人を救うという事は、自分を救うという事にもなるのですから・・・。
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