私は千葉県在住の会社員です。
特に霊障で困っていた…というわけでもなかったのですが、
開運に繋がるパワースポットをお教えいただきたくて日宗先生に霊視をお願いするようになりました。
(と、まぁこんなミーハーで軽薄な動機の相談者でも明るく笑顔で迎えてくださり、温かくご指導いただけるので、不安を感じておられる方はご安心を。
先生やスタッフの皆様には本当に感謝申し上げております)
さて、R45世代ともなりますと「どうしてこんなことが気になったり、こんなことにこだわりを持っていたりするのかなぁ」と
自らの趣味とかに疑問を感じざるを得なくなる瞬間ってあるんですね。
私にとってそれは『古代の奈良が大好き』ということでした。
好きが高じて学生時代は日本古代史専攻で卒論は平城宮。
折角海外旅行に行っても国内旅行で別の場所に行っても「あーやっぱり奈良に行けばよかったかも」と思ってしまうくらい大好きなんです。
奈良には20回以上は行っているはずなんですけれどね。もはやビョーキ??のレベルです(苦笑)。
そんな疑問を先生にもお伝えしつつ、霊視を受け初めて11ヶ月くらいになった時のこと。
先生が「平城宮で書類を整理している男性の前世がありますよ」と教えてくださいました。
なるほどかつて住んだことのある場所なら、こんなにも好きで当たり前なのかもしれません。
そんなわけで、今年の夏休みは関西旅行をしたのでついでに平城宮跡に行って来ました。
私の前世さんはどーせ木っ端役人だったのだろうけれど、この広い平城宮のどこで働いていたのかなー、
なんて思いながら宮跡公園を散策してきたのです。
平城宮跡を訪れてから数日後、霊視をお願いしていたのでお堂に伺いました。
旅行の話やその時に気になったことのお話から派生して、なぜか源平藤橘の橘氏の話題やどーも聖武天皇を好きになれないんですよ〜
…なんて話をした直後の霊視の不思議だったこと!!
「難波宮で聖武天皇の向かって右下に居る人が光って、私と重なって見える」と先生は霊視で視えたことをお教えくださいました。
その「右下の人」は聖武天皇と同じ方向を向いて座っているとのことです。
たまたまなのですが、平城宮跡資料館で私はボランティアガイドさんと奈良時代に一時的に遷都した難波京のお話をしてきていたばかりだったので聞いていて少しびっくり。
"天子は南面し、臣下は北面す"と言うそうですが、向かって右下ということは天皇から見ると左下…。
お話をうかがって、
『右下の人って…左大臣だ…。ひょっとしたら難波京遷都のときは橘諸兄(たちばなのもろえ)が左大臣じゃないかな…』
と私は思いつきました。
帰宅して調べてみたら難波京遷都時の左大臣は橘諸兄でビンゴ。
その「右下の人」の周辺の人物が前世である可能性があるとのことなのですが、
更に調べてみて橘諸兄とのリンクを強く感じさせるようなことが少しありまして。
1つ目。
平城宮跡で馬寮(めりょう)という役所がどこにあったか発掘結果から特定されているはずなんだけれども、
それってどこかなーと気になっていたら…
実は橘諸兄の最初の任官が馬寮監(めりょうのげん)という役職だったのですね。
そして宮跡資料館の敷地そのものが馬寮の一部だったことも調べていてわかりました。
2つ目。
聖武天皇キライ〜なんて言っていたら…橘諸兄の失脚の理由が聖武太上天皇に対して不敬な発言をした舌禍だったのだと判明。
そして諸兄の息子の奈良麻呂も度重なる遷都や大仏の造立を税金の無駄遣いと批判し乱を企てて獄死しているんですね…。
3つ目。
この20年くらい何故かずっと理由もなく気になってきた不空羂索観音様は
橘諸兄が重用した僧侶・玄ム(げんぼう)が唐から日本に請来したお経で紹介された観音様なのですね。
極端に仏像での作例が少なくて「奈良時代の藤原氏御用達の観音様」などと紹介されることもあるのですが、
実は東大寺の不空羂索観音様も興福寺の不空羂索観音様も諸兄の同母妹たちの信仰による造仏だと気がつきました。
藤原氏御用達に見えるのは結果論なのではないかしら…と
…むしろ橘氏とその周辺が不空羂索観音様信仰の震源地だったのではないかと想定されるのです。
あぁ…だからずーっと気になって気になって仕方がなかったのかな、と思い至りました。
こんな風にいくつかのばらばらだったパズルのピースが「橘諸兄」という求心力を得た結果、俄かに関連付けられて1枚の絵になったような不思議な感覚でした。
…というより、流石にびっくりしてひっくり返りそうになったというのが本当ですね。
今まで気になってきたことや歴史上の人物に対する感情が、
実は自らの魂の前世の記憶のかけらだったのかもしれないなんて他人に言っても信じてもらえないでしょうし、
たったこれだけの事で大袈裟なんじゃない?と笑われてしまいそうです。
でも、これらの気になるフラグと長く付き合ってきた私には十分に驚くべき事実でした。
更に不思議と感じたのはこの霊視結果を得たのが平城宮跡に行った直後であったことです。
前世でかかわりのあった私なりのパワースポットに訪れたことが、前世の記憶を呼び覚まして先生の前に現れたのでしょうね。
自らの前世を知ることの意義はこちらのホームページでも先生が書かれていらっしゃることです。
とりあえず聖武天皇時代の橘氏を眺めて思うことは「口は禍の元だなぁ…」ですねぇ。
多少心当たりがあるので気をつけていきたいなと気持ちを引き締めたりして(笑)。
ただ前世を知ってお終りではなく、
ではどうすれば今生をもっとよりよく生きていくことが出来るか、を今後の霊視やお参りを通じて探していければいいなと思っています。
最後に。
「万葉集」を見てみると、諸兄ってしょっちゅう宴会ばっかりしてるんですよー。
最近私が飲み会づいているのは…ま、関係ないですね(笑)。