悔悟して介護


私はある年の10月から全国行脚をスタートさせるにあたり、

私はその報告を兼ねて父が住む福島へ向かった時の事です。

父は久しぶりの父子の酒盛りとあって余程うれしかったのか、
私が実家に到着する前からもう既に酔っていたようで、父は千鳥足で茶飲み友達を迎えに行ってしまっておりました。


私が小学校時代の友を連れて実家へ戻ると、何やら我が家の周辺が騒がしいのに気づきました。

耳を澄ましてみると、家の前にある深さ150pもあろうかという川の中から、うめき声のようなものが聞こえて来ました・・・。

もしやと思い、車のライトを照らしながら近づいてみると、父が頭から血を流して川の中で倒れておりました。


すぐさま、私は川に飛び込み痛がる父を抱き上げ、川の渕に押し上げたのですが、
実はその時の私は怪我をしていて握力が殆ど無い状態だったのです。


そんな私が父を持ち上げてしまったのですから、まさに“火事場の馬鹿力”とはこの事を言うのだろうと思いました。

父はショックのあまり、気が動転していたようなので、とにかく濡れた服を着がえさせ、病院へと連れて行く事にしました。

幸いにも友人がいてくれたお陰で、スムーズに病院へ運ぶ事が出来ました。


なぜ友人がその病院について詳しかったかというと、彼の父の最期の時も、この病院の夜間診療口を使っていたからだったのです。


何という偶然か・・・私はただただ友人に感謝するのみでした。

私は頭(額)部を4針も縫う傷をおいながらも、スースーと寝ている父の顔を見ながら、色々な事を思い出しました。


私はこの父に小さい頃からとても可愛がられて育てられました。


父は私が何かで活躍すればするだけ喜び、他人に自慢するような人だったのです。


しかしその反面、私が少しでも腑甲斐ない結果を出そうものなら、家に帰った後、
父に「あ〜でもない !こ〜でもない!」と、必ず苦言を言われるものですから、
家に帰るのがとっても嫌だった事を忘れられません。


今思えば、あれも父の愛情だったのでしょう。

大学受験の時は、ほぼ内定していたにも拘らず、父が突然病で倒れたために大学進学を諦めざるをえなくなり、私は自衛隊へ入隊する事になりました。

それからというもの、私の人生において、この父が私の最大の壁となっていったのですから、人生とは不思議なものです。


可愛い息子の筈なのに、息子の夢を潰して行く・・・そんな父でした。


今、その父の寝顔を見ていると、色々な事はあったけれど、この私を育ててくれたのは、間違いなくこの父なのですから、
今度は私がこの老いた父を何とかする時なんだなぁ〜と感じました。


医師から「頭の消毒は毎日やってください!」と言われた事もあり、私は当時住んでいた千葉県柏市へと連れて行く事に決めました。


当初はアル中が最大の問題点かなと思っていたのですが、それ以上に深刻だったのは父の認知症でした。


今、食事中の人がいたらごめんなさい・・・。


父は糞尿をしていても気付かないぐらいに、ボケ始めていたのです。


福島の実家が異臭まみれだったのは、これが原因でした。

柏市の自宅に到着するなり、私はすぐさま父が着て来たものを全て捨て、
お風呂で頭の毛やヒゲを剃り、体を洗い流し新しいものに着替えさせました。

本人もかなりサッパリした様子でしたので、とりあえず焼酎を半分ずつ分けて飲みました。
どうも一杯やらないと落ち着かないようで、その一杯が出るまでは何やらジッとこちらを見つめているのですから笑ってしまいます。


とにかく、足腰が立たない程に痩せ細ったあげく、立ち上がる事も出来ないような体になってしまっていたので、
まずは食べる事を最優先にし、精神安定剤の代わりに焼酎を一杯やって寝てもらう事にしました。

なんとか食べられるようになり、足元がかなりしっかりして来た頃に、父には面白い行動が目立ち始めました。
私が夜、月刊誌の原稿を書いている時の事です。

父がトイレへ行ったと思ったら、帰る場所が分からなくなってしまったようで、
部屋に戻ろうと鏡の中に入ろうとして痛い頭を何度もぶつけては、不思議そうな顔をしているのです。

私は「お父さん、何しているの?」と言いながらも、思わず笑ってしまいました。

そうかと思うと、台所で仕事をしている妻を見て「誰かあそこ(冷蔵庫の前)で商売しているのか?・・・」と言ってみたり、
またある時はポットをジッと見て「これは一体何だい?何であるんだ?誰が持って来たんだ?」と言って
ポットの後ろ側を一生懸命にいじっているのです。


私は可笑しくなって笑ってしまいましたが、そんな父を見て、父は天使になったのだなぁ〜と思いました。

父のやる事はとても可笑しいけれど、これが病気だと思うと怒る気にもなれませんでした。

糞尿をしても綺麗に洗えばいいだけの事ですから別に良いのです。

親子水いらず〇ン○ン丸出しで一緒にお風呂に入ったのも小学校4年生以来の事でした。

とても不思議な感じですが、今ようやく父と人間らしくふれあえるようになった気がしました。

結局、父がボケた一番の原因は『さびしさ』だったと思います。

約30年間再婚もせず、たった一人で生きて来たのですから、
私の想像を超えた『さびしさ』を感じながら、それに耐えて生きて来たのでしょう。

寂しがり屋の私には、ただただ頭が下がる思いです。

私も父の強さに負けぬぐらいの男になりたいものです。



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