人間を植物に譬えて考えてみてください。
植物が育つためには、天の恵みである陽射しや雨、そして肥沃(ひよく)な土地が必要となります。
たとえ天の恵みがあったとしても、土地が痩せていたら、植物は育ちません。
天の恵みは神・仏であり、地の恵みは先祖に譬えてもいいでしょう。
つまり、お墓参りなどの先祖を敬う行為が、土地を肥沃な大地へと育て、植物(人間)を大きく育てていくのです。
ゆえに、お墓参りをしないような人間が大きく育つわけがありません。
お墓に亡くなったご先祖様の魂がいるわけではありませんが、
その魂を敬いに行く行為をご先祖様はちゃんと見ているのです。
お墓参りをしている方には、守ってくださる守護霊といわれる先祖がついてくれるのです。
また、お墓参りに行く事によって、今まで知らなかった事に気付かされる事があります。
これは私がある年のお盆に、私の母方の叔母のお墓参りに行った時の事です。
叔母の一生を譬えるならば【我慢の人生】と言っても良いと思います。
学生時代の叔母はとても成績が優秀だったので、校長先生が自ら叔母の家に赴き、進学を勧めに来たぐらいだったそうです。
しかし、私の母が病弱だったために、多額のお金を治療費に充てなければならない事情があり、叔母は進学を断念し飯坂の温泉旅館に勤める事になったのです。
その時に知り合ったのが、後の夫となる叔父でした。
その当時、叔父には余命幾ばくも無いと言われていた本妻が居りましたので、結婚できない事情があったのですが、お互いに深い縁を感じていた事もあり、密かに二人の愛を育んでいたようです。
それがある時、本妻の知る事となり、叔母は苦境に立たされる事になりました。
本妻はというと、怒り心頭となり死に掛けていた身体が嘘のように持ち直し「絶対に生きてやる!」という執念が湧いて来たようでした。
叔母が亡くなり2年後だったでしょうか?
私が叔母のお墓参りへ行った時に墓石を見て驚いたのですが、叔母の死の翌年の冬に本妻が78歳で亡くなっていたのでした。
「憎いあいつよりも一年でも長く生きてやりたい!」という言葉を耳にする事がありますが、まさにその通りになっていた事に鳥肌が立つ思いがしました。
まさに執念です。
その時に気付いた事はそれだけではありませんでした。
叔母のお骨しか入っていないはずのお墓には、本妻の他に2人の女性の戒名が刻まれていたのです。
私は何故という思いで、亡くなられた時の年齢と祥月命日を計算してみたところ、それら全ての女性が叔父の奥さんであった事が判ったのです。
どうやら叔父は最初の奥さんを25歳で亡くし、次の奥さんを31歳で亡くし、次に私の叔母、最後に本妻を亡くしていたのでした。
なんと言うか・・・4人の妻を迎える事が出来た叔父はかなりいい男だったのでしょうけれど、伴侶との縁はかなり薄い人だったのだと思うと、 ちょっと気の毒に感じてしまいました。
このように、お墓参りに行くと、先祖の生き様や苦しみを感じ取る事が出来るのです。
先祖の生き様は自分の生き様にも通ずるものがありますので、他人事と思ってはなりません。
お墓参りは色々な事を知る手掛かりにもなりますから、是非、最低でも一年に一度ぐらいはお墓参りに行ってください。