私の父が認知症になる前に、柴又の帝釈天へ一緒に行った事がありました。
その帝釈天の参道を歩いている時の事です。
何を思ったのか父が急に網代笠をかぶった僧侶の人形を見て
「お前は、小さな頃からお坊さん(僧侶)になりたい!と言っていたっけな・・・これは、お前の姿だ!」
と言った事がありました。
私が僧侶になる事をずっと反対し続けていた父が、今更なにを言っているのだろう・・・と思ったものでした。
それから数年後、私が31歳の時に再び僧侶になれるチャンスが訪れました。
私に十一面観音様をくださったご住職様のお導きにより、仏教系の短大(正眼短期大学)に入学する事ができたのです。
それからというもの私は僧侶になったら必要になる書籍を買い集め、それこそ僧侶になるために私は一生懸命でした。
しかし、人生とは皮肉なもので、今度は在学中に妻の実家の父が末期癌である事が分かり、
結局、私は妻の実家を立て直すために3ヶ月で岐阜の仏教系の短大を中退する事になってしまいました。
私が僧侶になるために残された道は、毎年行われる『夏の安居会』に参加し続ける事しかありませんでした。
『夏の安居会』に参加しながら、最低限の僧侶の資格は頂けましたが、私は完全に不完全燃焼でした。
私の修行したいという想いは消えず、その後、今度は『羽黒山の山伏修行』に参加してみました。
自分なりに一週間断食をしながら、山々を駆け巡り、最後の日は月山を登り湯殿山へ行き、
再び月山へ登り下山するという修行を通して、私は自分の進むべき道が見えてきたのでした。
もし、あの時『羽黒山の山伏修行』をせずに、僧侶で居続けていたならば、
今のように神道の事も修験道の事も、そして『霊』の事も勉強できなかった事でしょう。
それを考えると、私は僧侶を辞めて本当に良かったと思っています。
狭い了見では、物事の本質を見抜く事は出来ませんから・・・。
今、家の中には手付かずになっている仏教書が沢山あります。
仏教書というのは、医学書と一緒でとても高価なものです。 今となっては「よくまぁ〜、集めたものだ!」と思います。
これも私に必要な回り道だったのでしょう。
一昨日、母方の伯母から「哲雄さん、世の人々の為に施しを・・・」 という色紙が送られてきました。
その言葉を胸に刻みながら、私はこれからも精進していきたいと思っています。
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