29.呪詛解き


『類友』 という言葉があります。



私たちは、知らず識らずのうちに、

似たような要素を持っている人を友達にしています。



ですから 『良い友達』 を得るためには、

まずは自分自身を成長させて行かないと『良い友達』 には巡り会えないわけです。



特に、前世(過去世)に呪詛をかけられたままになっていたりすると、

この 『自分自身を成長させていく事』 が、なかなか出来ないのですよね。



つまり、自分自身を高めようとすると邪魔が入るわけです。



それで、結局は悪い要素を持っている友達が集まって来てしまうのです。

そして、悪いヤツを悪いヤツと気付かないのですよね。



困ったものです。



世の中には、悪縁の中で生きているような人がおります。

どういうことかと言うと、

付き合っている友達を 『良い縁の友』 と勘違いしているわけです。



私はそういう人に対して、本人に 『良縁の友』 なのかどうかを確認してもらう意味で

『いっときの間』、友達との距離をおいてもらうようにしています。





いっときの間、距離を保つことで、

冷静に、しかも客観的に判断ができるようになるからです。



これは別に、付き合っていた友達と離れている間に、

私が 『マインド・コントロール』 するためというわけではありません(笑)。





私は盲目的に 「私の友達は良いヤツなんだ!」 と思い込んでいる人の目を、

覚醒させるために言っているのです。





これは、誰にでも言える事ですが 『良いものは良い!悪いものは悪い!』 と、

判断できる確かな目を身につけたいものですね。





そのためには、いろんな意味で修行が大切だと思います。





私の場合は、霊山に登ったり、自然の中(パワースポット)に入って行ったりして霊力をつけて、

判断能力を高めるように心掛けています。





まずは、私自身が確かな目を養わないといけませんからね(笑)。







最近また、自殺者がテレビを賑わしているようです。

たとえば、世の中には恋愛問題を苦に自殺される方がいます。

私が思うに、そういう人は自分の事しか考えていない人だと思いますね。

なぜなら、自殺されてしまったら 「あの人が自殺したのは、私のせいだ・・・」 と、

一生十字架を背負って生きていかなければならない人を作ってしまうからです。



そういう風に、この世に残された人に負担をかけて自殺するような人は、絶対に許せませんね。



私は、そういう自殺者は卑怯だと思います。





自殺者の恋愛が成就しなかったのは、

自殺者にも嫌われるだけの何らかの理由があった筈だからです。

何故、自殺者は自分の至らない所を反省しようとしないのでしょうか?



私には理解出来ません。



すべての責任を相手になすり付け、まるで 「あなたが全部悪いのよ!」

と言わんばかりに自殺するような人は、許せません。



そういう人は、来世でもっと心を大きく育てて欲しいものです。







話が変わって、

『見ているはずなのに気付かない。聞いているはずなのに記憶に残っていない・・・』

という事が日常生活にはあります(苦笑)。



これは、物事に対して、ちゃんと向かい合っていないから起こるのです。

つまり、上の空の状態で生きているからです。



私は、その状態を解消するために、ある事を始めました。



私は人里離れた寺に住んでいるわけではありませんから、

さすがに朝6時から 『お経』 をあげるわけにもいきません。





そこで 『自分の時間』、つまり霊視以外の時間で 『無心』 になれる時間を作る事にしたのです。





それが 『朝の散歩の時間』 というわけです。

最近、私の体内時計はすっかり狂い出し?

毎朝6時から散歩をしています(笑)。





神戸では、神社をお参りした後に、海を眺めながら散歩をしているのですが、

ある時気付かされた事がありました。

「いくら願い事を神様に言ったとしても

『感謝する心』が育っていない人には、

有り難い出来事は起こらない・・・」 という事です。





それから、日々、海を見ていると、波の状態が微妙に違うことにも気付かされました。



自然は生きているわけですから、よく考えると当たり前の事なのに

気付かないのですよね(苦笑)。



人間の心も、日々穏やかであるのが望ましいのですが、

かえってその方が不自然なのだと感じました(笑)。





喜怒哀楽があってこそ、人間は自然であり、しかもストレスが溜らずにすむのだと思います。



やはり 『自然のままに・・・』 が、一番いいですね(笑)。





つい、調子に乗って歩き過ぎると

「こんな遠くまで来てしまったけれど、歩いて戻れるだろうか?」

ということがあります。



しかし、そう思いながらも歩いてみると、ちゃんと歩けるものなのですよね(笑)。

とにかく、歩き続けることが大事なのだと思いました。







前置きが長くなりましたが、本題に入ります。



私は前世(過去世)に掛けられた呪詛を解くために、よく京都の貴船神社に行きます。



この 『呪詛を解く』 意味というのは、

もちろん私たち自身の人生を生きやすくするためという事もありますが、

それだけではありません。



呪詛を掛けた人の荒んだ心を癒し、

一日も早く新しい人生を歩み出せるようにするためでもあるのです。





この 『呪詛解き』 をしようとする時に、もの凄い邪魔が入ることがあります。





つまり、呪詛をかけた人が、掛けた呪詛を解かれまいとして邪魔をしてくるわけです。



場合によっては、吐き気や胃痛・下痢といった症状を引き起こし、

呪詛解きを妨害してくるのです。





違った見方をすると、そこまで妨害してくるということは、それだけ呪詛を掛けた相手も、

ムキになっているわけです(時には姿を現わすこともあります)から、

ちゃんと対峙できるチャンスでもあるわけなのです。





言うなれば、ここぞ正念場、

『ピンチはチャンス!』 なのです。





呪詛をかけた人もかけられた人も、お互いの人生をやり直すチャンスですから、

なんとか『呪詛解き』をして、魂をクリアーにした上で、

伸び伸びと生きてもらいたいものですね。





私も、これからは伸び伸びと生きるために、自分の時間を大切にして行こうと思っております。

しっかり休養を取りながら、自分の修行をして行きたいのです。



私は今まで、我慢し過ぎたのかもしれません。



わが師匠(十条の先生)などは

「これは言っても、やらないなぁ〜」 という信者さんには、

すぐに霊視をやめて帰らせていたものです。





これからは、私も師匠のように、質(たち)の悪い者には容赦なく、

霊能者としての力を発揮して行こうと思っています。



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