24.霊能力者への道


13年前の今日、一号セーラが皆さんに看取られて亡くなりました。



あれからもう13年が経ちました・・・時が経つのは早いものです。    



【芸人】は、人を笑させたり驚かせたりする芸が無ければ食べていけません。



【霊能力者】の場合は、霊能力が高くなければ生きて行けません。



だから霊能力が高ければ『無名』だって問題ないのです。



霊能力者は、霊能力を研きながら【道】を究めていくことが修行ですから、私は【武士道】に通ずるものがあると思っています。



ですから、私の修行は【武士道精神】でやっていこうと考えています。



だからと言って、荒行をするわけではありません。



武士道と同じような【心】を研く修行をしていくのです。



生前、我が師匠は面白い事を言っておりました。



「日宗さん、プロレスは見るか?」と言うのです。



「いったいなんだろう」と思ったら、

「プロレスを見ると、なにくそ!という闘志がわいてくるから見なさい!」という事だったのです 。



そんな事をフッと思い出したものですから、以前、普段はほとんど見ないテレビを年の暮れに見た事がありました。


珍しく見たテレビは『プライド』でした。


同じリングにあがるもの同士でも、目指す【道】が違うと、こんなに違いが出てしまうものなのかと、しみじみ感じたものです。



【エンターテイナー】と【侍】じゃ勝負にはなりません。


私も【エンターテイナー】ではないので、真剣に【道】を究めていきたいと思っています。


世の中には、実際は力がないのに結構【自信家】がいるものです。  


神様はそのような【驕る者】には、決して霊力を授けないと思います。



思い起こせば今から28年前、私は「あなたも私のようになりますよ!」と師匠に言われ、

何もわからない私が、ただその師匠に教えられるままに生きて来ました。



そして、次第に私にも祝詞やお経が読めるようになり、気がつけば霊視ができるようになっていました。



当初は師匠と同じようには視えず「あなたには、そう視えるんだね!」と言われておりましたが、

次第に師匠と同じ答えを出せるようになって行きました。



これはひとえに、師匠が私の後ろでパワーを送り込みながら、一緒に霊視をしてくださったお陰なのです。



この広い世の中ですから【霊視ができる人】というのは、結構いらっしゃると思います。



しかし、霊視ができるだけでは何の意味もありません。



つまり、霊たちを視た時に、その霊たちが
何が言いたいのか?何を求めているのか?』を理解できなければ、

ただの傍観者と何ら変わらないからです。



やはり、霊能力者として大事な事は【視えたものを、どう対処できるか?】だと思います。



たまに「私は霊が見える・・・あるいは霊感がある・・・」と言って、私の相談所に来る方がおりますが

、私はそのような霊能力者きどりの者を見ると、水戸黄門じゃないですが、お灸を据えてやりたくなる時があります。



私は本物の霊能力者(我が師、十条の先生)を見て育っているせいか?偽者を見ると、たまに懲らしめたくなる時があるのです。  



私も【霊能力者きどり】と言われないように、精進していきたいと思っております。 



余談ですが「霊能力者として可もなく、不可もなく!」などと言われているようじゃ、我が師に申し訳が立たないですからね!




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