23.開運させるにはどうしたらよいか


こんにちは、日宗です。

私の相談所は、
霊視をするだけの場所というわけではなく、

開運させるための生涯学習の場でもあります。



今日は、

【開運させるためには、どのようにすれば良いか?】

について話を進めて行きたいと思います。



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お釈迦様は、生きることは【苦】であるとお説きになりました。



私は人生が【苦】であると言うならば、尚更≪楽しく生きる≫為の努力をすべきだと考えます。

自分は何をしている時が楽しいのか?

楽しく生きるためには、どのようにすればよいのか?

そして、その楽しみを継続させるには、どうすればいいのか?

などを考えて実行していけばいいのです。



そうすることによって、楽しく生きることができるからです。



これは誰もがそうだと思うのですが、

イヤイヤ生きていると、

どんどん顔が曇って【老け顔】になってしまうものです。

これは顔だけに留まらず、身体も衰え、魂までも干からびてしまうのです。



こんな生き方でいいのでしょうか?



私たちは苦しむために生まれて来たわけではない筈です。



人間は前世や過去世で犯した失敗を清算したり、

失敗を乗り越えたりするために、

この世に生まれ変わって来ているのだと思います。



だからこそ、この世では「生きることは楽しい!」と思えるような

生き方をする必要があるのです。



それにはまず、

自分が≪この世で何をすべきなのか?≫が分かっていなければ話になりません。



これは【前世の霊視】をすることによって、

自分が過去世で何をしてきたのか?が分かってきます。

それが分かれば、この世でしなければならないことが見えてくるのです。



この世で与えられたチャンスを無駄にしないためにも、

しっかり生きるべきです。



人間の魂が、たとえ何度でも生まれ変わるものだとしても、

与えられた今世での命を精一杯活かして生きなければ、

死ぬ思いで苦しみながら産んでくれた母親に申し訳が立たないというものです。





イヤイヤ生きて時間の無駄使いをするような生き方をすると、

今度はそれが【嫌な生き方の記憶】として残ってしまい、

来世もまた同じ生き方を知らず識らずのうちに繰り返してしまうのです。



だからこそ、この世において

【生きることを楽しむ】生き方を志ざすべきなのです。



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楽しく生きるためには、

少なくても自ら好んで不幸を背負い込んではなりません。



たとえば、

「この人には、私のような者がついていなければ駄目になってしまう!」

などと言うように、同情心から恋愛に移行してしまったりすると、

あとで取り返しのつかない人生になってしまう場合があります。



なぜなら、これは本人の【勝手な思い込み】であって、

相手はこちらが思うほど困っていないことが多いからです。

思い上がりも、ほどほどにしないといけません・・・。



相手に振り回されて、自分の人生を棒に振ってしまってはもったいないですからね!



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それでは、楽しく生きるためにはどのようなことをすればいいのでしょうか?



それはまず第一に、先祖を大事にすることです。

そして【お墓参り】をすることです!



お墓参りに行けば分かるように、たくさんのお墓があります。



当たり前のことですが、これらの墓に入っている人は、

生前は皆、我々と同じように生きていたわけです。

これらの人々がいたからこそ、今こうして私たちがいるのですからね。



そういうことに気づかなければいけません。





第二に、先祖をずっと見守ってくださっている菩提寺のご本尊様、

その先祖を供養してくださった歴代のご住職様、

そして先祖が敬った神社を大切にお参りすることです。





今の日本人は、先祖が大切にしてきた伝統を忘れつつあります。



つまり、感謝の心を忘れてしまっているのです。

私は、それが人生のつまずきの元になっていると思っています。





第三に、出来れば自分の前世でお世話になった人の

お墓参りをしていただきたいのです。

前世については、先ほども言ったように【霊視】を受けてみれば分かります。

前世があってはじめて【今】があるわけですから、

お世話になった方々への感謝の心を忘れてはなりません。



【今を生きるため】には、前世のことをうやむやにするわけにはいかないのです。





私の相談所には様々な悩みを持った方が訪れます。

そのような人々の苦しみの原因は、

ほとんどが前世及び過去世にあります。



すべてのことは【因果応報】により起こるからです。





これは中国の逸話らしいのですが・・・、

大昔、ある山奥の有名なお寺での出来事だそうです。



そのお寺の老僧が庭に出てみると、一匹の年老いた狐が近づいてきました。

すると、その狐が老僧に、

「私は500年前、この寺の住職をしていたものです。

それが、ある時人生について尋ねてきた者に対して、

間違った教えをしてしまいました。



そのことが原因で、

私は狐として生まれ変わることになってしまったのです。 

あれから500年、あの時どのように答えればよかったのか?

その答えが見つからないまま、今まで生きてまいりました。

どうか、哀れな私を導いていただけないでしょうか?」

と、言ってきたのだそうです。



老僧はその狐を哀れに思い、その答えを教えてあげたのです。

すると、狐は・・・

「やっと胸のつかえがおりました。これでようやく死ねそうです。」

と、言うと老僧の前から姿を消しました。



それから老僧はハッと思い、寺の修行僧を集め、

「この寺の近くに、必ず年老いた狐が死んでおるはずだ!

その狐を見つけたなら、盛大な法要を行うぞ!」と言いました。



弟子達はまもなくその年老いた狐を見つけ出し、お寺で盛大な法要が行われたのだそうです。



このように自分が間違った道を示せば、必ず自分自身に返ってくるものなのです。



これは、現世でも当てはまることがあります。



たとえば、ある父親が子供二人を残して離婚し、再婚したとします。

すると何十年か後に、自分のかわいい娘が離婚されて、

二人の子供をつれて帰ってくることがあるものです。



結局、父親がしたことが自分のかわいい娘に、

同じ苦しみを味わわせてしまうことになるのです。

自分のしたことが我が身に返ってくるわけです。



この世で起こる現象は、その人の前世での生き方に非常に関係があります。

自分の前世を知ることが【開運の秘訣】でもあるわけです。

先ほどから言っているように、

前世を調べることによって【今】なにをすべきかが見えてきます。



前世を知るということは、時としてとても辛い思いをともなうことがありますが、

その現実から逃げてはなりません!



その現実から目を背けて逃げてしまうと、

前に進むことが出来なくなるばかりでなく、

来世でまた同じ苦しみを味わうことになってしまうからです。



だからこそ、辛くても自分でまいた種は、この世できっちり刈り取るしかないのです。





日常生活において、たとえば高い所や水が怖いという人がいます。

このような苦手意識もまた【前世からのトラウマ】が原因していることがあるのです。

これを解消するには、その原因になっていることを思い出し克服しないかぎり、

苦手なものを解消することはできません。



つまり、前世で失敗したことを、今度はこの世でうまくやり直せばいいだけの事です。





自分の生き方を小さくさせている呪縛のような記憶に対して、

「もう自分は生まれ変わっているのだから、大丈夫! 今度はうまくやれるよ!」

というように、魂に語りかけながら恐怖心を解き放つことが重要です。



この呪縛についてですが、

「どうも私は何をやっても、うまくいかない・・・自分では、もっとやれる筈なのに・・・!」

と思っているような人は、一度霊視を受けてみることをお勧めいたします。



そういう人の殆どは、

前世や過去世で誰かに呪縛されていることが多いからです。





しかし、その逆に、本人が誰かに呪詛を依頼したり、

本人が呪詛を掛けたりした場合も考えられます。

その場合は【因果応報】により、この世において呪縛されてしまうこともあるのです。

そのような人は呪縛を取らないかぎり、この世での幸せは望めません・・・。



この呪縛を取るのが【お祓い】であり【祈祷】なのです。

つまり、辛くても自分の足で呪縛を取る努力をしないかぎり、

人生を変えることはできません。



これを山登りに例えるならば、

「どうせ、俺は何をやっても駄目なんだ。」

と、あきらめて立ち止まってしまったら、

もうそれ以上は上にも下にも行けないのです。

そこで死ぬしかありません・・・。



自分を救うのは結局は自分自身です。

辛くても頑張って動くしかないのです。



一生懸命生きていると、それを見ている人が必ずいるものです。

私はそれが神様であり仏様だと思っています。



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人間というものは感情の動物ですから、

その時の感情によって、

行動や顔の表情が大きく変わってしまうことがあります。



たとえば、他人のことを憎んで心が荒れていると、

自然に口も顔もきつくなるものです。



つまり、人を憎んでいると、自分自身が醜くなってしまっているということなのです。



そこで「まぁ、いいか!」というように、相手のことを許せるようになると、

人間の顔というものは不思議と優しくなり、いい顔つきになるものです・・・。



なんでもない時に、人に優しくするのは誰にだって出来ます。

しかし「絶対に許せない!」と思うような事をされた時には、

大概の場合は相手の事を許す事ができないことでしょう。



そんな時に許してもらえたり、優しくされたりすると・・・

ありがたくて、ありがたくて・・・

許してもらえたことを一生忘れないものです。



そして、許してくれた人のことが【一生忘れられない人】になるのです。



つまり『昨日の敵は、今日の友』と思えるようになってきた時、

人間の心が成長してきたと言えるのです。



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最近は【信仰】においても、おかしな考えをお持ちの方がいるようです。



「神社や霊山に行けば、望んでいることが叶えられる・・・。

あるいは利益をもたらしてくれるからお参りする!」

と、言うように【現世利益】を目的としてお参りしている人たちがいるようなのです。



しかしこれは≪信仰の心構え≫としては、あきらかに間違いです。



結局、こういう人達の信仰は、

「自分の思い通りにならない信仰なんてする意味がない!」

というような理屈になるからです。



こういった信仰は、単なる【自分のわがまま】を主張しているに過ぎません!



このわがままな信仰者が増えてくると、

相手のことなどお構いなし・・・、自分の願いさえ叶えば満足!

というような自分勝手な人々を増やしてしまうことになり、

こういう人が増えれば増えるほど当然トラブルが多くなるわけです。



結局は、人間の強欲が争いを招くのです。



常に相手の立場になって物事を考えられるようになったなら、

一つのものを皆で分けあえるような暮らしができ、

争いがなくなる筈なのです。



本当の信仰というものは、

神仏を信じ自分自身を磨く事であって、

利益を求めてやるものではありません。



この世には【現世利益】を求めて修行する方々が多くいますが、

これははっきり言って間違いです。



信仰というのは感謝して生きることです。



感謝して生きれるようになった者が副産物として、

神様・仏様からその人に必要なものが与えられるだけのことです。



そのように考えて修行をした方がいいのではないでしょうか。



本来は、修行を重ねていくと【足ること】を知り、

与えられたものを有難く頂くようになり、

仲良く暮らせるようになるものです。





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今まで色々と言ってきましたが、

私が皆さんに言いたいのは、

先祖代々大切にしてきた神様を敬い、

先祖を尊ぶという生き方をしていただきたいと思っているわけです。



敬うということは感謝して生きるということです。

全てのものに感謝して生きていれば、

争いごとなど起こるはずがないからです。



その【感謝の心】を失ってしまい、

自己主張に走るからこそ、トラブルが発生してしまうのです。



何が大事なことなのかが、わからなくなってしまっているこんな時代だからこそ、

その感謝の気持ちを育てていくような教育が必要ではないでしょうか。



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世の中にはもうすでに還暦をむかえ、思慮分別がつく年齢に達しているにも拘らず、

「私の祖父母は夫婦養子なので、血のつながっていない祖父母より以前の先祖の墓を、

守っていく必要はないのではないでしょうか?」と言う人がいます。



これには、正直ビックリします・・・



たとえ血がつながっていなくても、

その方たちの土地に住み、名字を受け継ぎ、

その家の人々と共に生活を営み、

そのことによって、

自分たちが生まれてきているわけですから、紛れもなく先祖になるわけです。



何故そういうことがわからないのかが私には理解ができません。

もし人に対しての感謝の念があるならば、そのような言葉は出ないはずです・・・。



現代の人達は、汗をかいて努力することを嫌い、

開運スポットと言われる所には行きたがります。



誰もがその開運スポットに行けば幸せになれると思っているようですが、

人生はそんなに甘いものではありません。



その開運スポットにしても、

誰でもがそこに行けば開運するとは限らないからです。



どういう意味かお分かりでしょうか?



それは【その人に合った開運スポット】というものがあるからです。

開運させる場所というのは、その人の前世に関係した場所であると同時に、

その人にとって良い思い出のある場所でなくてはなりません。





もしも前世で自分が殺された場所の近くにあるような開運スポットでしたら、

決して縁起がいい所とは言えません・・・。



それが、すべての開運スポットが万民に良い所とは言えないゆえんです。

自分の前世を知ったうえで、自分に合った開運スポットに行ってほしいものです。



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人生とは実に不思議なもので、たった一人の人間と出会った事によって、今までとは全く違った人生を歩みだすという事があります。



私が母を亡くしてから14年後、私には人生の大きな転機が訪れました。



私は前世の母ではないかと思えるような十条の先生と出会えたのです。



この事がきっかけとなり、私の人生は一変し、霊能者の道へと入っていく事になったのです。



出会いというのは本当に重要ですね!    



皆さんの中には一度霊視を受ければ、すぐに開運すると思っている人がいるかもしれません。



しかし、実際は違います。



一度目の霊視では、開運させるための方向性が示される事が多く、

それらの事を実行した上で二度目の霊視を受けると次に【すべき事】が示されるわけです。




だからこそ、霊視は繰り返し受け続けていく事が重要なのです。


今まで生きて来て思うようにならなかった人々を開運させるという事は、そんなに簡単な事ではありません。


日々自分の魂が曇らないように【霊視】あるいは【お祓い】を受け、

自分が背負ってしまっているものを祓っていく【努力】が必要なのです。




野球で表現するならば「自分は、こうすればメジャーリーグでプレーができる」というトレーニング方法を知ったとします。



それが分かったならば、それに向かって真っすぐに努力して行けばいいのです。


しかし、悲しきかな人間は生身の身体ですから、体調を崩す場合もあるわけで、

そうすると知らず識らずのうちにフォームをくずしてしまい、自分のプレーができなくなってしまうのです。



そんな時に必要になってくるのが、ビデオでのフォームチェックです。


このフォームチェックが、言うなれば【二度目の霊視】になるわけです。



常に自分チェックをしながら、最高のプレーができるように、最善を尽くす努力が必要なのです。


私の場合は、師匠の元に毎週通い、

多い時には週2回フォームチェックをしに行ったものです。


それでも、最初の頃は、

師匠に

「七面山に行けば良くなりますよ!」

と言われていても、すぐには行かせてもらえず、

その七面山へ行くまでに、8ヶ月もの期間が必要でした。



それは、私が七面山を登りきるための霊力が育っていなかったからです。



その頃は、そのことがなかなか理解できませんでした。

なぜなら、私は当時29歳と若く体力にも自信がありましたから、

充分山に登れるものだと思っていたのです。



しかし実際に霊山へ登ってみた時、

52歳の女性についていけなかったのです・・・。

その時にやっと自分の力量のなさを痛感したのでした。



「自分の認識と、人生の先の先まで見通せる霊能者との認識とは、

かなり隔たりがあるものだなぁ〜」

と実感したものです。



人間というのは自分に甘く、

自分のことを過大評価しがちですから、間違いを犯しやすいのです。





それだからこそ、客観的に判断してくれる人の存在が大切になってくるわけです。



ですから私はとてもラッキーだったと思います。

初めから本物の霊能者である十条の先生に導いていただけたのですからね。

人の縁とは実にありがたいものです。



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この人生を変える縁というと【結婚】があります。



ほとんどの人々は出逢った縁を【良い縁】だと思ってしまう傾向があるようですが、

これが間違いの元!です。

縁には【良い縁】と【悪い縁】があるからです。



ですから、たとえ結婚が遅れたとしても、良い縁の方と結婚していただきたいものです。





これにはまず、自分の人生の方向性をしっかり見極めることが先決です。

そしてその道を歩き、自分の方向性に合った相手と結婚すべきだと私は思っています。



本来、結婚は一大事です。

そこで間違いを起こさないためにも、

しっかり自分の進むべき道を見つけてほしいものです。



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先日、ある年配の方から

「うちの息子が、家を建てることになったので見ていただけないでしょうか?」

という依頼がありました。

早速、間取りを見てみると、それはなんと一家離散の家相だったのです。

私は、しばし呆然とした後に、間取りを検討することにしました。



普通、家を建てるということは、一生に一度の大事業です。

本当なら家を建てる場合には、住む人に合った土地というものがありますから、

まずそこからはじめないといけないわけです。



次に、その家に住む個人個人に適した間取りや位置というものもあります。

たとえば長男であるなら、

その長男の名前と生年月日と性格に合う部屋の位置や部屋の作りがありますから、

それらのことを満たしてこそ、

その家に住む人が、

それぞれの持ち味を発揮して家族円満となり、家運隆昌となって開運するわけです。



開運させる間取りというものは、本当にあるものなのです。



結局、この家は新築後にリフォームすることで、

ことなきを得たのですが、

「出来ることなら間取りを決める段階で、相談に来て頂けたら無駄なお金を使わずに済んだのになぁ〜」

と、思えてなりませんでした。



最後に皆さん、信じることは生きる力になります。

信じ続けていくことはもっと大事です。



人生は自分の努力で切り開いていくものです!

自分を開運させるための努力を怠ることなく、

その努力を楽しみながら生きて行ってください。



そして、みんな一緒に幸せになりましょう。



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