117.開運への第一歩…敬うということ
日本人は、遠い昔から先祖を敬い、
産土様(うぶすなさま・・・生まれた土地の守り神)を大切にして生きてきた民族でした。
先祖の命日やお盆・お彼岸などには、お墓参りをし、
産土様には家内安全や五穀豊穣などを願い、
秋になるとお祭りなどをして神様に対して感謝の気持ちを表していたものです。
しかし、日本人の生活形態が大家族から、
核家族へと変遷(へんせん)してゆくうちに故郷を離れる人々が増え、
もともと先祖が住んでいた場所さえわからなくなってしまうような有様になったのです。
そんなことですから、先祖が大切にしてきた産土様はじめ
先祖がお世話になってきた菩提寺(ぼだいじ・・・先祖の墓や位牌のある寺)
などわかるはずがありません。
本家であろうと分家であろうと、はたまた次男であろうと三男であろうと、
先祖がいたからこそ、今の自分達が存在するわけですから、
先祖代々お世話になった場所などには、
少なくてもお礼参りに行ってもらいたいものですね。
昨今、諸外国から入ってきた成功哲学がもてはやされ、
やたら前向きな考え方が、いかに大事か!などと言われ続けてきたせいか、
先祖がどうのこうの・・・と話をすると、
まるで後向きの考え方のように思われがちですが、
それは、大きな間違いです。
過去があってこそ、今があるわけですから
「今を生きる」ためには、過去のことをうやむやにするわけにはいかないはずです。
どうも最近の日本人は、自分が成功するための努力はしても、
お世話になった方々への感謝や恩義というものを
忘れてしまったかのように思われてなりません。
過去にお世話になった方々に感謝しつつ、努力してもらいたいものですね。
教育の場合でも、やたら競争心をあおるような、
学習指導を行なっているようですから、
忙しさのあまり心を失ってしまうような生徒が増えていくのも、おかしくありません。
競争心を育てていくような教育をしているうちは、
当然のごとく、争いの心を持つ生徒が育つものです。
自分が一番でありたいと願う日本人が増えてきたのも不思議ではないわけです。
それゆえ他人を殺してでも、自分の幸せを勝ち取ろうとするような事件が
多くなってきたのも理解できます。
人というのは、支えあって生きるものであり、
助け合って生きていくものなのです。
そのような心を育ててゆく教育がなされてゆけば、
いつか必ず この世界から戦争というものが無くなってゆくことでしょう。
今こそすべてのことに感謝して生きようとする教育が必要だと思います。
人を敬うということは、人に感謝して生きるということでもあるのです。
感謝の心があるところには、争いなど存在しないはずですからね!
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