58.前世と現世との面白い繋がり
by:真実一路
いつも夫婦ともども大変お世話になっております。
本日は、私ども家族がここのところ思うところと、感謝の気持ちをまずはお伝え申し上げたく、筆をとっております。
Iさんご夫妻からのご紹介により、そちらにお伺いするようになってから、大きく私の気持ちのあり方など、内面が大きく変わってまいりました。
もともと母方が曹洞宗の寺の出であったため、小さなときから、いつも仏様がそばで見ておられる、導いて下さる、と教え込まれていました。
それを疑ったことはありませんでしたが、その本当の意味を知らなかったのだと、先生にお会いして、初めて知りました。
46歳にして、これほど大きな気付きを得られるとは、と本当に嬉しく思っております。
私たち家族は小さな小舟にのり、この世という大海を、ご先祖さま、前世のみなさま、神や御仏によって導かれているのだ、と改めて痛感いたしました。
先日、私に父方のご先祖さまの女性(先妻さんで28歳くらい)が来ておられると伺ったときにびっくりいたしましたが、
さっそくお墓参りに行き、おそらくその方が慶応時代に亡くなられたということがわかりました。
(明治44年に20歳で亡くなられた「先妻さん」もおられますが、
28歳ぐらいの女性、という条件に該当する方は「慶応年に亡くなられた先妻さん」のみでした。)
私はM家を離れて、早22年。
子供のころは毎年お参りしていたものの、この間、冠婚葬祭には出向きながら、
お墓に参ったことは、たった2回だったと思います。
しかもご本家にはお参りしていなかったように思います。
このような疎遠にも関わらず、遠いご先祖さまがお越しくださったとわかったときは、辛さも忘れ、感動いたしました。
私の長男が、「どうして遠い先祖が、直系ではないお母さんのところに出てくるんだよ」と不満げに私を心配してくれましたが、
「こんな遠いご先祖さまが私に出てきて下さるということは、
遠いご先祖さまも私たちを子孫と認めて下さっていることで、私たちを守って下さっているということなのよ。
私はとっても嬉しいのだから、不満には思わないで。」と伝えました。
長男もすぐに納得したようでした。
つまりは長男も、長女や末息子も導いてくださっているということですから。
夫は沖縄の尚一族時代の官吏とのこと。
調べましたところ、第一尚時代、マレーシアがポルトガルに併合されるまでの50年の間に、
公式記録で18回もマレーシアを訪れていることがわかりました。
非公式を入れると大変な数に及びます。
生涯をマレーシアに捧げた方々もおられたことと思います。
夫は、他のオーストラリアの大学からもオファーを頂いておりました。
1件は西オーストラリア州のパースにある大学で、夫が大変憧れていた大学でした。
最初は当然のことながらパースの大学からのオファーを受諾するものとばかり思っておりました。
正式にこちらから受諾の連絡をする前に、「家族でこれから住むことになるパースを訪れておこう」ということになり、2月に行ったところ、
大学は大変美しく、環境もよく、スタッフの皆様も本当に良かったのですが、大学以外の周辺で、ちょっとしたことが気になったのです。
市街地の雰囲気、街中で白昼ケンカしている若者、ものすごく感じの悪いタクシーの運転手さん・・・。
世界中どこにでも起こりうることばかりのはずなのですが、
「世界一美しい街 パース」という謳い文句では測れない何かが、「ここじゃない」と心に訴えてきました。
私は、マレーシアには行ったことがありませんが、夫に「マレーシアだね」と、パース最後の夜に伝えたのでした。
夫自身、パース滞在中に「大学は好きなんだけど・・・他が・・・」と思い始めていたところだったようです。
今回、尚一族の関係者で、マレーシアとも強い交流があったと知ったときに、夫婦ともども愕然としました。
そして、私たちの選択は間違っていなかったばかりではなく、お導きだったのだ、と痛感たいしました。
パース滞在中に起きた出来事は、ほんの1−2分時間がずれていたら、何も見ることも気付くこともできないような些細なトラブルばかりです。
だからこそ、マレーシアを選ぶように導かれていたのだと納得せざるを得ません。
夫は、「お前があの夜、『マレーシアだね』と突然つぶやいたときのことが忘れられない。まるで天啓のように聞こえたよ。
お前は僕の前世やご先祖さまの影響も受けているんだね」と言ってくれましたが、そうだと良いなあと思います。
日宗先生とお会いしていなかったら、私たちは、私たちが送っているこの人生の意義を理解していませんでした。
マレーシアへ行くことも、「ご縁」とは思っていましたが、
確かなご縁によるお導きだったのだと理解して赴くことができることを、本当に本当に嬉しく思います。
そして、日宗先生に巡り合うきっかけを作ってくれたI夫妻への感謝の気持ちと、
家族、ご先祖さまや前世の皆様への感謝の気持ちが、日増しに大きく大きく膨れ上がってきます。
ただ、私たちは決められたレールの上を走っているわけではないことは重々承知いたしております。
すばらしい恩恵、お導きを受けるために、私たちにできることを精一杯行う、
「天は自ら助くるものを助く」と肝に銘じながら、これからの日々を過ごして参りたいと思っております。
日宗先生、小林さま、これからもどうぞ私たちに様々なことをご教示くださいますよう、お願い申し上げます。
さて。
M家の墓参りに訪れた際、お寺のすぐ隣に、登呂遺跡時代に祀られ、徳川が巨額を投じて整備した浅間神社がありました。
わたしの子供の頃の遊び場だったところです。
今回、総門に立った途端、体をやさしい一筋の風が流れました。
とても嬉しさがこみ上げる風でした。
総門を潜りますと、主祭神は大国主命であることが分かりました!
一番最初にそちらを訪れた際、大国主命にご縁があると伺っておりましたので、本当に驚きました。
こんな近くにご縁があったのだと。
(生まれ故郷でも同様のことがありました。母の実家である寺は曹洞宗ですが、
日宗先生が「真言宗のお寺があるはずだから、探してお参りしてください」と仰っていましたので、
探したところ、すぐに見つかったのです。
なんと隣のお寺が真言宗。更に菩提寺の隣の神社が、大国主命を祀る神社。すごい事実です・・・。)
さて、浅間神社は改めて訪れると、その広大さ、豪華絢爛さ、素晴らしさに圧巻された思いでした。
拝殿前に能舞台があるのですが、舞台の彫り物に一瞬ギョっとなったり・・・。
一緒に墓参りに行った母がすでに疲れていたので、拝殿でお参りするだけにして、ご朱印をいただいてすぐに神社を後にすることになりました。
ご朱印を頂いたときに神社のパンフレットを頂き見たところ、ギョっとなった彫り物は龍の彫り物で、安政の大火のときに、
境内にある池に飛び込み、水を吸い上げ、本殿に吹きかけた、という伝説があるそうです。
付喪神でしたか!道理でギョっとなったわけです。
そして同封するお馬さまは叶い馬と言われています。
やはり付喪神ではないかという伝があるようです。
なぜこのお写真をお送りしたかと言いますと。
このお馬さま、じっと見ていると、とにかく目が離せなくなるのです。
ふつうお参りするときは、目を閉じて頭を下げるのですが、なぜか、じーっと見入っています。
見つめながら、住所と名前を告げ、お願いごとをいたしましたところ、
急に、目が柔らかいもの(作り物でありながらその目だけ突然弾力を帯びたもの)に変わったように見え、
続いて、私の左のこめかみ辺りから右のこめかみに、一筋の細い暖かい光が、すーっと抜けて、
『その願い、聞き届けよう」とおっしゃったようにかんじたのです。
お写真を見つめていても、だんだんと生きたお馬さまのように見えてきます。
(実際に、逃げ出さないように。綱でつながれております・・・。お可哀想に・・・。)
お願い事が叶うのかどうか、それは当分の間知りようがないのですが
(家族の無病息災と末代までの子孫繁栄をお願い致しましたので(笑))、
「叶い馬」と言われる所以が分かるような気がいたしました。
日宗先生と小林さまに、このようなものもあるのだとご承知おきいただきたく、お送りさせていただきます♪
なお、浅間神社(せんげんじんじゃ)は、いくつもの神社から構成されています。
神部神社というものと浅間神社(あさまじんじゃ)がメインなのですが、
一つ屋根の下に、この二つが祀られています。
神部神社は大国主命、浅間神社は天孫ニニギノミコト主祭神で、このお二人が並んで祀られています。
寺社仏閣の統廃合等により多くの神様が合祀されたお社を拝見することがあっても、これは、わざわざこのように徳川が作ったようです。
どうしてこのようにされたのか、時間があれば神主さんから色々と教えて頂きたいなあなどと思いました。
拝殿はそれほどではないものの、
上の方はお力が強そうだなあ、行ってみたいなあ、などと未練を残しながら、帰ってきた次第です。
日帰りの墓参りに行っただけでしたが、こんなにも多くのご縁を感じることができ、本当に嬉しく思いました。
日宗先生に言われたところに行きますと、必ず、たくさんの出会い、ご縁を感じます。
そして、決まって、「とっても楽しい気持ち、嬉しい気持ち」を持って家に帰ることができます。幸せなことです。
今回は、母親が「楽しかった〜」と言ってくれるという、副産物までついてきました♪
どうか、今後とも、私どもw家に変わらぬご教示を頂きますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
時節柄、くれぐれもお体をご自愛くださいませ。
TOP / 体験記目次