23.前世にまつわる体験談
by: 高島御前
日宗先生から私の前世としていくつか教えていただきました。
武士であったり空海さんの弟子だったり遊女であったりと、
色々と出てきましたが自分に前世の記憶がある訳ではないので
「苦労してそうだナァ」と、信じてはいてもどこか他人事のようでした。
以前から「あなたは大奥にいた」と、
何度も言われて、「女中として大奥にいたのだろうか?」などと勝手に思っていました。
二月の霊視で突然
「あっ、はっきりわかりました。あなたの前世はお楽の方です。高島御前とも呼ばれていました。
一族郎党ひきつれて、大出世しました。でもそれを随分と妬まれたようです。」と、教えられたのです。
日本史に全く疎い私は、訳がわからずきょとんとして「どんな人だったのですか?」と、お尋ねしました。
すると、「三代将軍家光の側室で四代将軍家綱の生母ですね」とのお答えをいただきました。
その瞬間、まさに”目が点になる”というか全身で”ハテナ?”状態になり、
思わず大きな声で「あっ、それは無いです。違います。
あり得ないです。
私の前世がそんな華やかな人生の人の訳がないですから」と、つい反射的に全否定してしまいました。
今、その時の事を思い出すとあまりの非礼さに恐縮、恐縮です。
ですが、下町の小さな商家の娘で、男児のみを望んでいた、
実母の愛情すら得られなかったこの私が、
女嫌いで有名な家光に気に入られ次期将軍である男児を生むだなんて、
どうしてもその時点では信じられる話ではありませんでした。
でも日宗先生がそう仰るからには、何かしらお楽の方とご縁の深い人物であったのだろうと思い、
お楽の方について調べ始めました。
●お楽の方の父は元々は農民、砲術指南役として武士にとり立てられ、
その後禁猟の鶴を撃ち処刑されていました。
お楽は罪人の子となったのですが、その後、
義父の古着屋を手伝っているところを春日の局に見い出され大奥に上がったのでした。
ですが生んだ子供は自身で育てる事は許されず、
難産の後遺症で病気がちとなり頼みの家光の愛情も他の側室に移り、
寂しくわずか32才で亡くなっていました。
こんな悲しい人生ならばもしかして本当に私の前世かも?と半信半疑でしたが、
日宗先生に言われた通りお楽にとっての敵方である正妻さんのお墓参りにお詫びの為に足を運んだのですが、
風もないのに墓前ではライターの火がつかなくなったのです。
二個目のライターのオイル量を確かめてから墓前に再び行くと・・・オイルは”空”になっていて冷や汗がでました。
それからお楽の方の事をもう少し細かく調べてゆくと驚く程の共通点が出てきたのでした。
その1●春日の局は浅草寺の帰り道にお楽を見い出した。
●私は春日の局の領地のまん中の春日通り沿いで生まれ育ちました。
浅草寺へは歩いても行ける距離です。
その2●お楽も私も強い陣痛にもかかわらず胎児が下がってこないという
母子共に危険な難産でした。(難産道強靭症)
その3●お楽の子は生後数ヶ月で脳膜炎にかかってしまった(髄膜炎とも言う)
●私の長男は破水感染に依り脳膜炎の菌が入ってしまい、ずっと保育器に入っていました。
放置していれば数ヶ月後に脳膜炎を発症していたはずと医者に言われました 。
その4●お楽の子、家綱は寛永18年8月3日生まれ、
そして私の次男は、平成8年8月3日生まれなのです。
その5●幕府への反乱がおきました。
〇〇●●の乱です。
●私の姓は○○と申します(今生は仲良くという意味でしょうか?主人とは出会って即、
結婚を決めました)
その6●茨城、古河のお寺にいたお楽の弟は家綱の教育係でした。
前世、私の弟だったと言われた知人の男性は
私の次男の習い事(まさに教育係的役割の方です)の先生です。
(私の前世が”お楽の方”とわかるその前に私の弟と言われていま した。)
その7●お楽の方をはじめ側室達は江戸城内に住んでいました。
お楽は大奥に上がる前は神田に住んでいました。
●私はA社に就職し、千代田営業所(住所は神田)の麹町分室に配属されました。
毎日、麹町の会社の窓から皇室(江戸城)のお堀を眺めていました。
(その会社は私にとってまさに大奥でした。江戸城のまん前で。)
細かい点を挙げればもっともっと共通点があるのですが、
ここまでわかった時点で私はパソコンの前で放心しておりました。
名前や地名や生年月日等に色々なヒントが隠されていると聞いてはいましたが、
ここまであてはまるなんて・・・絶句です。
前世と今世とはこれほどまでにリンクするものなのかと・・・。
女王様タイプの女性達から、
過去何度も何度もはっきりした理由も無く激しく憎まれ罠にかけられ邪魔されてきました。
その大きな原因の一つがお楽として大奥にいた時の前世にあった事を理解しました。
男児を生むだけが目標の大奥において、
低い身分出身のお楽が妊娠した時点でどれほど妬まれ憎まれ呪詛をかけられたことか・・・体が震えました。
せっかく日宗先生から前世の事を教えていただいても、
個人名まで特定できるなんて本当に稀な事だと思うのです。
ですから、たいていはその霊視の正確さをなかなか証明できないのですが
私の体験談を通して理解してくださる方が増えたら嬉しいです。
私は一時的にも日宗先生を半信半疑に感じた事を心から反省しました。
申し訳ないと思いました。
前世のお楽の方の時は信仰深く生きたにもかかわらず
周囲の女性達の恨みの念に負けてしまったようです。
今生では人生の後半で日宗先生に会える機会を持てました。 (ふーっ、ぎりぎりセーフな感じです)
お楽と違って自由があり家族がいて友人がいて、
好きな事を仕事にできる楽しさまであるのです。
前世を知る事でいま手にしているものがどれ程価値あるものか再確認できました。
(同性の友人、有難いです!)
前世を正確に知ることができる・・・こんなあり得ない幸運に感謝します。
日宗先生、スタッフの皆様、ありがとうございます。
TOP / 体験記目次