11.霊能者に教えられて、「姓名判断ばかりでは・・・」

by:マリア


生まれてからすぐ、次から次へと、重い病気にかかり

私自身は覚えていないのですが、 母は随分と大変な思いをしたそうです。



それでも小学校の頃になると、だいぶ体力がついてきて中学校の時には、

精勤賞を戴けるくらいになりました。



ところが、高校生になった時です・・・

数学の授業の先生がとても教育熱心な先生で 

(今になってみれば とてもいい先生だと思えるのですが) 

クラス全体の雰囲気がピリピリとした緊張感に包まれ、

私の一日は数学で始まり、数学で終る といった感じだったのです。



また、高校一年の時は運が良く(?)数学の授業が毎日あったのです。



そんなある日、数学の授業中にお腹が痛くなってしまったのです。



”シ〜ン” とした 教室の中で私のお腹の音が ”ぐるぐる” と音を立てるのです。



トイレに行きたいのですが、その頃はとてもおとなしく それを言うことさえも出来ず、

とにかく授業が終る事をひたすら願いました。



それからというもの、数学の授業の前には必ずトイレに行かないと気がすまなくなり、

出ないのにわざと力んで出すといったことをしていたのです。



そして数学の授業以外にも ”シ〜ン” とした所に行くと緊張するようになり、

そういう時はやはり無理して出したり ご飯を食べなければ、出るものも出ないと思い込み 

あまりご飯を食べなかったり、水も飲まなくなったりしました。



そんな事をしているのですから 病気にならない訳がありません。

下痢が続き、しまいには便に血が混じるようになっていったのです。



こういったように、病気が病気を生み 考え方もどんどんと歪んでますます病気になっていくのです。



”お腹が 痛くなったらどうしよう・・・” 

私の頭の中は、絶えずその事しか考えられなくなってしまいました。



人の事を思ってあげたり、考えたりしてあげることがだんだんとできなくなっていったのです。

常に、自分が、自分が・・・なのです。



登校時の、電車やバスは私にとって地獄のようなものでした。

それでも、なんとか高校は卒業させていただいたのですが、

外にどんどん出られなくなってしまったのです。





19歳の時に中・高の時、通っていた学校の斜め前にある病院に入院しました。



入院した部屋は二人部屋で、隣に入院していた方のお母さんが姓名判断を勉強していて、

私の名前をみた時すぐに重い病気にかかると思ったというのです。



私は、どうして私だけこんな病気になるのか絶えず思っていましたので

”名前が 原因だったんだ!!” と 半ば感動して、

隣に入院していた方のお母さんが面会にくるたびに、どんな名前にしたらいいかを尋ねました。



そのお母さんも 私が必死に聞くものですから、いろいろ考えてくださって

”好美” という名前を付けてくださいました。



それからというもの、入院中のベットの所で 一日100回名前を書き、

変えた名前のハンコを100回押し 自分は ”好美” だと思い込むようにしました。



6ヶ月の長い入院生活が終わり、通院となりましたが 薬の量の多さは、一向に減りませんでした。



それでも ある人からの紹介で 、小児科さんの受付の仕事に就くことが出来ました。



が、2年位経った時です ・・・

また緊張感でお腹が痛くなるのです。



そして 今度は姉の知人に紹介してもらった先生から”登志枝” という名を付けていただきました。



そして、6年後には今度は別の病気を併発するのです。

勤めている病院の患者さんに名前を見ていただいて ”由佳” が良いと言われ変えました。

が、またしても2年後には、名前を変えたのです。



日宗先生と出会えたのは、私が36歳の時でした。



日宗先生はこう言います。

「名前を変えても 無駄!根本になっているものを変えなければ 何も変わらない。」



16歳から35歳まで入退院のくりかえしでした。

そのたび、何が原因でこんな目に遭うのだろう ? ・・・

名前 ・ 先祖 ・ たたり e.t.c.

(今、思えばいつも人のせいにしていたのかもしれませんね)



考えれば考えるほど、性格が歪むのです。



病気になると本当のことが見えなくなったり、本当の言葉が聞こえなくなったりして、

考え方がどこかずれてしまうのです。



私より、辛い思いをしている方がいらっしゃるのに 自分が一番辛いと勘違いし、

自分の事しか見えなくなるのです。

いつも自分優先になるのが、当たり前に思ってしまうのです。



日宗先生と出会って5年目、

ご先祖様の供養に始まって 今度は、自分の過去世の供養も始まりました。



日宗先生が霊視をしてくださって分かった事なのですが、

私が通っていた中学 ・ 高校 ・ 病院があった所は 過去世において私が死んだ場所だったのです。



それを教える為にそういう所に通わせ、尚且つ入院させたのでした。





病気になった大きな原因はもう一つあります。



お稲荷様、火の神様、水の神様、井戸の神様、トイレの神様、お風呂の神様を

ご先祖様や過去世の私が粗末にしていたのです。



その事が、霊視をしていただいて、ひとつひとつ分かってきた事なのです。



が、果たして今の自分はどうだろう?と考えたところ ・・・



結局、今の自分も 水は蛇口をひねれば出て当たり前、

火も押せば点いて当たり前、ご飯も 食べられて当たり前、お風呂もトイレも 入れて当たり前 ・・・



何一つ感謝することなく、生活していた自分に40歳になって、初めて気が付いたのです。



前に日宗先生が

「神様には朝起きて”おはようございます”夜寝る時は”ありがとうございました”だけでいい」

と言われた事がようやく分かった気がします。



この頃は、ご飯を戴く時やお水を飲む時など

「授けてくださってありがとうございます。」 と思いながらご飯やお水を戴くのですが、

とてもおいしくありがたくいただけるのです。



今までの私の心には感謝の気持ちが全然なかったことに気付かされました。



神様を粗末にしていた事のお詫びが、 

神様が大好きな私にとっては、一番 心に響いた出来事でした。



また、日宗先生は、霊視の話をしてくださることがあります。



”霊視をした時、○○さんのおばあちゃんの霊が深々と頭を下げてお礼を言っていったんですよ”

などという話を聞くたび、何故、こんなに日宗先生にお世話になっているのに、

私のご先祖様は、霊視の時現れて、先生にお礼を言わないのだろう?とず〜っと考えた事があります。



最近になって分かってきた事なのですが、

私自身病気がちだった為、生きる気力が無く(早く死んでしまいたいと思っていたのです)、

病気の初めの頃に至っては、こうなったのもご先祖様が悪い事をしたからじゃないか?などと、

勝手に思い込んで(ごめんなさい)ご先祖様に対して、私を生んだ両親に対して、

恨むことはあっても、感謝することや恩を感じることがなかったのです。



命を粗末に思い、ご先祖様、両親に対して感謝する気持ちが全くといっていいほど無かったのです。



本当にごめんなさい。



こんな、私だったから・・・感謝の無い霊がついているわけです。



ご先祖様や両親は、私の事を教えてくれる、ありがたい鏡なのです。



ご先祖様や両親のしたことは、私が過去世や現在においてしていること・・・

(そのためにも、ご先祖様のことを知ることは大切です)



感謝の無い私だったから、感謝の無い霊がつくというように、全て自分、そう自分のせいだったのです。



人には、自分と似たような霊が憑くのです。



ですから、自分が今から変るしかないのです。



いろいろなことに気付かせてくださったり、教えてくださったりする

神様、仏様、ご先祖様、日宗先生、お父さん、お母さん、家族の皆、

守ってくださっている全ての方々、ありがとうございます。



先生と出会う前は、家から電信柱一本分の距離を 出るのがやっとでしたが、

おかげさまで今では病院にも通っていませんし、薬も飲んでいませんが

北海道や出雲、九州まで、お参りに行けるようにもなりました。



本当に感謝 感謝!!です。



まだまだ、辛い事も、心が欠落している所もたくさんあります。



そして、同じ過ちを繰り返す事もありますが、

日宗先生から霊視を通して”心”を学べることはとても楽しいです。



皆さんの中にも現在、病で苦しんでいらっしゃる方がいらっしゃると思いますが、

きっと 生きていて良かったぁ!と感謝する日が必ず来ますから決して諦めないで下さいね。




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