1.無縁仏様を探して
by:ゆきちゃん
私が、日宗先生に出会ったのは、もう10年以上前になります。
きっかけは、その頃うまくいかなくなっていた結婚生活についての相談でした。
私の高校時代の友達が、たまたま日宗先生のお師匠様の十条の先生にお世話になっており、
十条の先生に会いに行こうと誘ってくれたのですが、
十条の先生が、「自分の弟子のところへ行くと良い」と仰ってくださって、
日宗先生を紹介していただいたのです。
ところが、わたしは、そもそも人をなかなか信じないほうで、
日宗先生に対しても 最初は、正直半信半疑でした。
ですから、「この人、私に何を言うんだろう?」と ちょっと様子を見るような気持ちもあったと思います。
ですが、日宗先生にはじめてお会いしたとき、その目を見て、 目が綺麗な人だなぁ、
この人なら信じられるかも・・・ というのが第一印象だったのを今でもはっきり覚えています。
それでも、私は、日宗先生をすぐ素直に信じる気持ちになれませんでした。
日宗先生は、そんな私の疑いを見抜いたのでしょう。
何も言わないのに、宗教嫌いの私に 「僕は、宗教がらみではありませんよ。」と
しつこいくらい繰り返されました。
そして、「僕のことを、あなたは信じられないようですね。
でしたら、 まず戸籍謄本を先祖三代分調べてみなさい。離婚が非常に多い家系ですよ。
ここで、あなた自身が離婚をすることを止めないと、孫子の代までも、もっと続くことになりますよ。
それと、あなたの家系のどこかに無縁仏様がいっぱいいるね。
その無縁仏様を 探し出して、供養しなければいけませんよ。」といわれました。
その頃の私は、個人的な事情もあり、自分の家系の全てを知っているわけではなく、
また、積極的に調べたこともありませんでした。
でも、知っている範囲では、そんなこと聞いたことも無かったので、そんな馬鹿な!と思いました。
そして、その時、日宗先生は、僧侶になられるための修行で5年間岐阜へ行って
修行することになっておられました。
そこで先生が「僕が5年間修行してくるまで、絶対に離婚しないで待っていてください。」
と言って下さったのに、「そんなこと約束できません。」と反抗的に答えたりしていました(笑)
そんな私ですが、どこか直感的なところで、日宗先生のことを信じてもいたのだと思います。
なぜか、その後、家に帰ると、 「ご先祖様のために家の西の方にお塩をもってそこへ線香二本たてなさい。」
という指示はすぐにやりましたし、いわれたとおり戸籍謄本もすぐにそろえましたから。
驚いたのは、その戸籍謄本をみてからです。
私は全く知らなかったのですが、 本当に日宗先生の言われたとおり離婚が非常に多い家系だったのです。
とすれば、無縁仏様も多くいらっしゃるに違いない・・・ このままではいけない!と私は強く思いました。
結婚に関する障りを子供の代まで持ち越すことも絶対にしたくありませんでしたし、
ご先祖様を無縁仏様にすることも許されることとは思えませんでした。
なんとかしなければ! でも、無縁様なんて、どうやったらわかるんだろう・・・
無縁様というだけあって、どこに葬られているのか全く私には見当がつきませんし、
当時親戚同士の話でも聞いたことがありませんでした。
途方に暮れた私は、先生に「どうやって探したらいいですか?」と伺いました。
先生は「自然にあなたの耳に入るから大丈夫ですよ。」と答えられました。
でも、それまで全く聞いたことが無かった私は不安でした。
それから、とにかく自分の知る範囲で、縁のお墓に行き無縁様をさがしてみました。
でも、なかなか見つからないまま二年が過ぎてしまいました。
そんな、ある日、兄のお嫁さんに関する法事で親戚が集まることがありました。
そこで、偶然「無縁様になってしまう仏様がいる、大変だ。」という話をしはじめた人がおり、
私は、あぁ、これだ!と思いました。
そこで、そのお寺の場所・名前をその人にお聞きしました。
それは静岡県でした。
私はすぐに、そこへ向かいました。
行ってみると、そのお寺の納骨堂の中に積んであったダンボールの中に、
誰もお世話できなくなってしまったご先祖様のお骨が九体分入っていることがわかったのです。
あぁ、日宗先生の仰っていたことは、これだ!大変なことになっていたんだ!と私はあせりました。
申し訳ない・・・なんとかしなければ・・・可哀想だ、ほっとけないとも思いました。
このようなことを続けていて良いわけがない。
私が、なんとかしなければ・・・ そのご先祖様については、私が直系の子孫というわけではないので、 出来ることは限られていました。
そこで、ご供養に年二・三回通いました。
そのたびに、申し訳ない、すみませんと謝り続けました。
3、4年の間、年に少なくとも3度ほど通い続けたころでしょうか? 突然、そのお寺のご住職のご好意で
無縁塔にそのご先祖様を入れていただけることになったのです。
私は、ほっとし、心から嬉しく思いました。
それが、ご先祖様にとっても一番、自然でよいと思えたのです。
そこで、私は、相応のお礼をお寺にさせていただこうと心積もりしておりました。
ところが、ご住職は、お受け取りになりませんでした。
全くのご好意で、供養してくださったのです。
そして、「あなた、もう、これで何回も東京から来なくていいよ」と言ってくださいました。
まるで、ご先祖様が私に言ってくれたようで、本当に嬉しかったです。
日宗先生も、「あなたの優しい気持ちが、通じたんだよ。」と言ってくださり、
やっと肩の荷が下りたような気持ちになりました。
それから、そう頻繁にはそのお寺に通わなくなったのですが、
その後、そのお世話になったご住職が、私の知らないうちに亡くなられており、 そ
の次私がお寺に行ったときが、そのご住職の一周忌の法要の日でした。
私は、本当にびっくりし、知らなかったことを申し訳なく思いました。
そこで、お線香はあげさせていただいたのですが・・・
大切な一周忌にご焼香させていただき、 お礼を墓前に申し上げることができた・・・
不思議なご縁を感じました。
その後、日宗先生もわざわざ、静岡まできてくださり、
そのご先祖様、ご住職のためにお経をあげて下さいました。
こんなに無縁様がいっぱいいるなんて、その家系に存在する私自身まったく知りませんでした。
日宗先生にお会いしていなかったら、 知らないまま、誤りを重ねたまま生きていたに違いありません。
なぜ、私の家のことなど何も知らない日宗先生が判るのか・・・とても不思議です。
「先祖を大切に出来ない人は「生き仏」も大切に出来ませんよ。」と
日宗先生は、よく私に話してくださいました。
今では、当然のことと思えるこの言葉も、先生にお会いした当時の私は、
本当には理解できていなかったのかもしれません。
先生に教えていただいたことを元に、自分自身で調べて、ご先祖様のことを知っていくうちに、
この言葉の真の意味を日々実感していくようになりました。
先生の言葉は、飾り気が無くてわかりやすく、本当になるほどなぁ・・・ と納得出来ることが多いです。
ですから、あれほど、誰に対しても疑い深かった私が、10年以上の長い間、
日宗先生にご相談しながらお参りごとを続けてこられたのだと思います。
いまでは、日宗先生を心から信頼し、何でも話せるし、ご相談にものっていただけるようになりました。
本当に感謝しています。先生、ありがとうございます!
これからもよろしくお願いいたします。
- 日宗 -
無縁仏様とは、亡くなった人を弔う親族・縁者が無くなってしまったことで、
お墓の継承者がいないので、後に入る人も無く、またお墓参りをする人もいない仏様のことです。
直系の子孫で無いと、なかなか先祖として「おまつり」することはできませんが、血がつながっていればやはり、あなたのご先祖様なのです。
ですから、この「ゆきちゃん」の体験談のように探し出して、お参りすることがとても重要なんですよ。
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