91.ひたすら鍛錬だ!




今日のブログは、私の失敗談でもあり、成功哲学でもある。



人間はなるようになっているのです。



だから諦めずに生きる事が大事。



人間は【生きてこそ】です。



生きているからこそ、人様を応援して生きていけるのです。



私は21歳の時に【リハビリテーション】という仕事に気づき、《人を応援する仕事》に目覚めた。



その後、マッサージや整体そして霊の世界へと治療の世界を広げていった。



私は31歳の時、自分自身を更にバージョンアップさせて《人を応援する》ために、僧侶になって人々を救う決心をした。



私の息子(一徳)が1歳半の時、私は一軒家を購入して1年も経たない自宅を売却して、

修行するために岐阜県美濃加茂市にある『正眼短大』へ向かう事にしたのだ。



私が『正眼短大』へ向かう準備をしていた時、福島県いわき市から『New wife』という名の女性が助けを求めてやってきた。



「◯◯日までに◯◯◯万円を用意しないと、私は首を吊らなければならない・・・」というのである。



私はこの時「これは返してもらえないな・・・」と思いながらも、私は大切な大金を貸してしまったのだ。



それが私の人生の転落の始まりとなった。



あれからもう29年が経ったが、あの大金は未だに戻ってこない。



風の便りでは、あの時の大金で長男の結婚式を立派に行ったという事だから笑ってしまう。



この女性の旧姓は【こんの】、私の先祖である『藤原経清』及び『奥州安倍氏』が滅ぶキッカケを作ったのが

【こんの氏】だったのであるから、何という因果だと思う。



この『藤原経清』と『奥州安倍氏』についての話は【炎立つ】という大河ドラマを観てください。



悲痛な思いで『正眼短大』へ向かった私だったが、

私は私の生き様など全く理解していない当時8歳年下の優秀な僧侶に「あなたは『虫が良すぎる』」と言われてしまう・・・。



私は心の中で笑ってしまった。

そして、私は正眼短大の修行に見切りをつけた。



その後も私は僧侶になるための修行を岐阜県の別の場所で続けた。



しかし、結局は約10年後に【霊能者(拝み屋)】として生きる事に決めたのである。



私は今【藤原氏】の初代である『藤原鎌足』が活躍した奈良県にて《開運アドバイス》を行っているのだから、人生は面白い。



歴史は繰り返されます。



しかし、自分自身に負けるわけにはいきません。



だからこそ『日々の鍛錬』が必要なのです。






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