90.【霊能者(拝み屋)】として生きて33年目・・・


日宋

北は『北海道(滝川市)』から南は『沖縄(南城市)』まで、

様々な場所で【開運アドバイス(対面霊視)】を行ってきて、今年で33年目を迎えました。



臆病な私としては、この《霊》と関わる仕事は絶対に有り得ない職業でした。



しかし、これも父方の【拝み屋】の遺伝子や『前世』というものの影響があったのでしょう。



【霊能者(拝み屋)】として生きて、気がつけば33年目になるのですから不思議な縁であります。



今では息子(一徳)や娘と一緒に、修行をしながら生きています。



歴史は繰り返されます・・・そして『前世から続く魂』も生き方を繰り返すのです。



おそらく、息子(一徳)も娘も《陰陽師》・《僧侶》・《山伏》・《巫女》などを繰り返しながら生きてきたのでしょう。



これは【橿原神宮前の妙光】にも当てはまります。



私が【福島霊視】をしていた時に、ある相談者の『前世』を霊視していた時の事です。



私は「あなたは前世で細菌学の研究をされていたようですが、何らかの理由で途中で挫折したようです・・・。」と告げた事がありました。



すると、その相談者が「実は、私は東京の大学で細菌学を学んでいたのですが、

ある新興宗教にのめり込んでしまい、大学を中退せざるを得なくなってしまったのです。」と仰ったのでした。



つまり、『前世』と同じように途中で細菌学の勉強を止めなければならなくなってしまったという事です。



このように、自分自身の【前世の生き方】を知らないでいると、無意識のうちに『前世』と同じような生き方をしてしまうのです。



私は霊能者(拝み屋)として生きて来て、今年で33年目を迎えたわけですが、


人間は【好きな事を一生懸命にやれば、なんとかなる!】という事を実感しています。



だから、生活のために好きでもない事をイヤイヤやって生きるのではなく、【楽しい】と思う事をやっていけばいいのです。



当然《辛いと思う事》も起こりますが、その《辛い事》を乗り越えた時の達成感は、経験した者にしか味わえない感動があります。



だから《辛い事》というのは、感動という喜びを与えてくれる有り難い存在でもあるのです。



私はこれまで岩手県二戸市にある金田一温泉の【仙養舘の座敷わらし】や

沖縄の【久高島のキジムナー】など、様々な《妖怪》や《精霊》に出会い人生が大きく変わりました。



その中で『去る人は去る』・・・けれども『来る人は来る』という事を実感しました。



だから『去る人』を追う必要は全くありません。



【仙養舘の座敷わらし】は、良い縁の人を迎い入れ、悪縁の人を遠ざけてくれるのです。



皆さんも是非ゴールデンウィークを利用して【仙養舘】へ行ってみてください。



私はその《座敷わらし》を【仙養舘】の『白鳥の間』で目撃しました。



その他にも【仙養舘】の玄関先でも目撃した事があります。



私は様々な《妖怪》や《精霊》に出会った事により、霊能力を磨いて行くためには、

コンクリートジャングルのような所で暮らしていては五感を磨く事はできないという事を知りました。



皆さん【奈良県の橿原神宮】に来てみてください。



五感を磨くためには大自然が生きている《豊かな土地》で生活する事が重要だという事を理解できると思います。



【霊能者(拝み屋)】として生きる・・・これは生半可な気持ちで取り組んでいたとしたら、決して生きていく事は出来ません。



そんなに甘いものでは無いからです。



【霊能者(拝み屋)】として生きて行くには、自分を信じて覚悟を決めて取り組まなければ決して報われません。



何事も続けなければ、本当の喜びは味わえないのです。






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