70.命日は1945年6月21日
私は今朝方、先日の6月8日の夜の状態と同じように全身に火傷を負ったような痛さで目が覚めました。
そして【その時】私は自分自身の【直近の前世】に気づいたのです。
それは余りにも突然のことではあったのですが、
色々なことが充分に納得できる内容で繋がっておりましたので、私は冷静に受け止めることが出来ました。
今の私は【直近の前世】をやり直しているに過ぎないということに気づいたのです。
私は数年前に特攻隊の訓練所であった【太刀洗飛行場跡】へ行ったことがありました。
その時に私は『島袋清少尉の遺影』を見て「私はこの方に会ったことがある!」と感じたのです。
この『島袋清少尉』は沖縄県出身の方でした。
私はこの『島袋清少尉』と【太刀洗飛行場】で一緒に飛行訓練を受けていたのだと思います。
『島袋清少尉』は万世から沖縄へ特攻して行きましたが、私はおそらく上官に楯突いたがために特攻隊としてではなく、
最前線である沖縄へ送り込まれ、私は沖縄戦線において負傷し【糸数アブチラガマ】に収容されたのでしょう。
その【糸数アブチラガマ】で一緒だったのが日比野勝廣さんだったのです。
私が初めてこの【糸数アブチラガマ】を訪ねたのは7月29日。
この日は偶然にも『日比野勝廣さん』の祥月命日でした。
『日比野勝廣さん』は戦後幸いにも、この【糸数アブチラガマ】から生還しましたが、私はほぼ全身火傷のような状態でしたが、
まだ歩ける状態だったがために、更に南方の糸満へ歩いて移動することになり、
そこで【白梅学徒隊】に手当てを受けお世話になりながら最期を迎えたのだろうと思います。
それが1945年(昭和20年)6月21日でした。
つまり74年前の今日なのです。
だからこそ「直近の前世を思い出せ!」とばかりに、
先日の6月8日の夜のように私の全身がヒリヒリと火傷を負ったかのような痛みで目を覚めさせられたのでしょう。
ちなみに私の誕生日の数字は全て上の数字の中に含まれています。
人間は自分の意志に反して、国の命令で亡くなった場合には、
もの凄く早く生まれ変わることを許されて【直近の前世】でやり残したことを再びやれるようにチャンスを与えられるのです。
私は今【沖縄】に住み、時折【糸数アブチラガマ】へ戦没者の供養に行き、
また糸満市にある【魂魄の塔】へも戦没者の供養に行っているのですが、これも当然のことだったのでしょう。
私はこの【魂魄の塔】の辺りで最期を迎えたのだと思います。
私は自分の【直近の前世】を知ったことにより、これから【直近の前世】の続きの人生を始めるチャンスを与えられたのです。
これから私の人生は大きく変わることでしょう。
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