今年は【明治維新150年】だと浮かれている輩がいる一方、明治維新の立役者の出生地である鹿児島県では
『明治維新150年を記念して』立てられた旗が折られたり、川に捨てられたりという出来事が起きている。
これは未だに【明治維新】を成し遂げた者たちへの不満が残っているからであろう。
明治維新は日本国を近代化させ、軍国主義の国へと向かわせた。
その最たる失敗が大東亜戦争である。
明治維新を成し遂げた薩・長・土・肥は日本国の近代化を唱えたが、
それは建前で本当の最初の本音は自分たちの生活を豊かにしたいという想いしかなかったのではないだろうかと思う。
世の中を変えて貧しさから脱却すること・・・それが最初の意思ではなかったのかと思う。
つまり【明治維新】は単なる下克上に過ぎないのだ。
貧しさから脱却できたのは後に『華族』となった者たちのみである。
その証拠に明治維新を行っても何も変わらなかったと感じた者たちが内乱を起こし始めたからだ。
それが1874・2月の佐賀の乱(肥前)
1876・10・24の神風連の乱(肥後)
1876・10・27の秋月の乱
1876・10・28の萩の乱(長州)
1877・2・15の西南の役(薩摩)
更に、薩・長・土・肥の真実が明治維新から20年後に垣間見られたのだ。
今の那須塩原辺りは明治時代の開拓までは農業に適さない不毛の地であった。
そこに明治新政府に属した薩・長・土・肥などの後に『華族』と言われた者たちが【国家のプロジェクト】と称して那須疎水を作らせ、
なんとそこに自分たちの別荘を次々と建てたのである。
つまり、薩・長・土・肥などの『華族』の私利私欲によって、
国民の税金と労力を自分たちの私腹を肥やすために費やされたわけである。
【馬脚を露わす】とはこの事だ。
明治維新は本来、下級武士による単なる下克上に過ぎなかったのである。