305.父・佐藤徳三郎


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今朝は《ヤギへの給餌&清掃》をして、今、沖縄から奈良へ向かっています。



私の父(佐藤徳三郎)は、10人兄弟の7番目で【拝み屋(霊能者)】をしていた佐藤サトの三男として生まれました。



父は子供の頃から【霊感】が強かったようで、墓地に面した道を歩いていると幽霊をみたり、

幽霊に出会ってしまったりと様々な体験をしていたようでした。



そんな父は幽霊との関わりを嫌い、祖母(佐藤サト)と同じ道を歩まない事を選択しました。



父の【霊感】は専ら仮枠大工の仕事で発揮していました。

図面など見なくても完成図が見えていたといいます。流石だと思います。



若い頃の父は東京都立川の進駐軍の中で見習いコック長をしていたといいます。



父は仕事中に誤って火傷をしてしまい、それがキッカケでコックの仕事を辞めたようです。



その後、福島県の飯坂町にある飯坂薬局に勤めましたが、薬局の給料では子供を育てていけないという事で、

34歳の時に大工になる事を決意したようでした。



父は先輩の方々が昼休みをしている時間にカンナの使い方を練習していたそうです。



その後はクレーンの免許や玉掛けの免許を取得して仮枠大工の仕事で才能を開花していったのです。



父は47歳の時に私の母を脳出血で失い、それからというもの仕事と家事を一人で行い、私たちを育ててくれました。



だから私は父に大きな恩があるのです。



私はその恩を返せたのかどうかは分かりません。



少しでも父に喜んでもらえるとしたら、それは私が人様のお役に立つ仕事を続けていく事だと思います。



父は祖母(佐藤サト)と孫の一徳が大好きでした。



父の最期の時は10月16日(旧暦の9月11日)の12時34分。



祖母の月命日であり、大好きな一徳の誕生日(9月11日)の数字が重なる日でした。



最後の最後まで見事な人生だったと思います。



父は92歳という大往生でしたから、私には寂寥感みたいなものはありませんが、なんとも言えないものがあります。



明日は一徳と共に僧侶になったつもりで読経をして父を送り出します。





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