213.【ギブ&ギブ】で生きる
【日宗庵】のホームページの中に『CoCoだけの話』というものがある。
私は最近そこに下記のものを掲載した。
『世の中には【神様・仏様・目に見えない存在】を信じているという人が沢山いるが、
その殆どは自分自身を守るためだけに利用しているに過ぎない。』
殆どの日本人が『神社・仏閣・パワースポット』へ行く理由は、
【神様・仏様・目に見えない存在】に対しての『畏敬の念』ではなく保身のために出向いているに過ぎない。
つまり【ギブ&テイク】を要求しての事だ。
これは『お詣り事』を始めたばかりの初心者なら仕方がないと思う。
私自身もかつて亡くなられた方々が沢山埋葬された場所(古戦場)の上に2年間程住んでいた事があった。
すると、ある日突然『吐き気』が止まらなくなってしまった。
私はそれを治したい一心で【霊能者(十条の先生)】の所へ通い、山梨県の霊山(七面山)を登詣し続けたのである。
その当時の私は『結果を求めて』行動していたわけだ。
あれから29年が過ぎ、開運アドバイザー(霊能者)としての生活が30年目に入った今、
以前よりも増して【目に見えない存在】の『恐ろしさ』や『凄さ』に驚かされている。
この想いは【沖縄】に移住して更に強くなった。
私はある時から、この世には神様なのか仏様なのか分からないが、
【目に見えない存在】がいるという事を確信し、次第にその想いは『畏敬の念』に変わったのだ。
以前、あるテレビで【異界百名山】という番組を放送していたが、
まさにあの番組で放送されていたような事が私自身の身の回りでも起こるようになり、その異界に関わって生きていく事が私の喜びになった。
私はこの不思議な世界に飛び込んでからは、特に誰かに対して「あれだけの事をしてあげたのに・・・」という気持ちが沸かなくなったし、
常に【ギブ&ギブ】で『与え続ける生き方』を心掛けるようになった。
だから、今の私は相手に誤解されて去られようが、ある日を境に嫌われようが何とも思わなくなったのだ。
それは近年【ボランティア活動】をするようになって、益々『与え続ける生き方』に生き甲斐を感じるようになったからだと思う。
私が沖縄で【ボランティア活動】をさせて頂いている所には『見返りを期待しない人間』ばかりが集まって来ているので実に気持ちがいい。
この世の方々は大概が【ギブ&テイク】の生き方だ。
このような生き方をしていると、いつの日か「あれだけの事をしてあげたのに・・・」という気持ちが沸き上がって来てしまう事だろう。
最近【嫌われる勇気】という言葉を知った。
大概の人間は誰しも『嫌われたくない!』と思って生きていると思う。
もし『嫌われても、別に・・・』という人間がいるとしたら、それは余程の《ひねくれ者》だと思う。
『言うべき事をハッキリと言う』というのは【勇気】がいる。相手に『嫌われる』かもしれないからだ。
生きていく上で【嫌われてもいい】と腹をくくり、自分の想いをハッキリと言う事はとても重要だ。
『自分の心のままに正直に生きる』という事が【自分らしく生きる】という事だからだ。
人生というものは誰のためのものでもなく、自分自身のためのものであるのだ。
『誰かが喜んでくれるから・・・誰かを喜ばせたいから・・・』
これが自分自身の本心に合っている生き方ならば問題ないが、
誰かのために自分自身がしたいと思っている生き方と違う生き方をしているとしたら、それは本末転倒だ。
自分自身がしたいと思う生き方が出来ないというのは【原因】がある。
その【原因】を究明せずに前へ進もうとしても上手くいく筈がない。
私は『野球』や『銃剣道』をやってきたから感じるのだが、【失敗】をするというのは【失敗へ導く原因】がある。
その【失敗】に対して「ドンマイドンマイこれからこれから!」というばかりでは、また【同じ失敗】を繰り返すだけだ。
やはり【失敗の原因】になっている所を改善させるための鍛練をした上で、
同じ失敗をしないための『これからのやり方(生き方)』を決めて行く必要がある。
すべては【今から『どう生きたいのか?』】という事が重要なのだ。
頭で考えてばかりいても何も変わらない。
すべては【実践】が物をいう。
【実践】する事こそが自分の人生を切り開くからです。
私はこれからも《ギブ&ギブ》の精神で【遠隔霊視】をしながら、
【身を守る御札】に『良い波動』を伝え、皆さんに良いモノを届けていくつもりだ。
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