141.私は本来・・・【善行】を公言するのは本望ではない。


平安時代、強い怨念を抱いた人たちは京都の貴船神社へ参り【藁人形】を木に打ち付けて怨みを晴らそうとしていました。



しかし、この行為は誰かに見つかってしまうと効力を失うと信じられておりました。



私はこれまで【善行】もまたしかりだと思って来ました。



だから私は本来【私はこのような事をしています!】と【善行】を公言する事を良しとしませんでした。



なぜなら、自分自身を世間に誇示しているようなものだからだ。



それにも拘わらず、【私はこれまでこのような事をして来ました!】と書いて来たのは、間違った解釈をされるのが困るからでした。



例えば、【霊能者】は何の努力もせずに、ただ生まれつきの才能だけで生きられるとか、

先を見通せる能力があるから何の苦労もしないですむ・・・

と言った間違った解釈をされないようにするためだったのです。



この世の中に何の努力もせずに生きられる人はいません。



【天才】も【秀才】も皆、他人が見ていない所で努力しているのです。



私がこれまで約30年間【霊能者】として生きて来て実感した事は、『善因善果』・『悪因悪果』です。



すべて【因果応報】であるという事です。



私の人生はある時から『ボランティア活動』を始めた事によって、大きく変化して来ました。



特に【誠】の活動をするようになってからは顕著です。



最後に一つだけ、私が「今日も《祈祷&回向》をしました!」と書くのは、

不安な思いで生きている方々に安心して生活をして頂きたいという想いからでした。以上です。


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