今日『4月25日』は新撰組局長だった近藤勇の祥月命日です。
近藤勇は京の都にて治安を乱す者たちや天皇を京の都から連れ出そうとしている者たちから守ろうとして職務を全うしておりました。
しかし、その近藤勇が【逆賊】として捕らえられ、
慶応4年4月25日(1868年5月17日)に東京の板橋にて斬首されてしまいました。
こんな理不尽な事があって良いのでしょうか?
あの幕末ほど人間性が見えた時代はないと思います。
人間には何も言わずとも体の中から発するモノがあります。
それが【習気(じっけ)】というものです。
【習気】というのは、トイレに染みついた臭いの事をいうのだそうです。
このトイレの臭いというのは、いくらきれいに掃除をしても壁や板に染み付いてなかなかとれないものです。
「私は誰よりも賢い人間で、私に勝てる者などいやしない!」などと思っていると、次第に態度に現れてくるものです。
【習気】というのは、その人の心のあり方が反映されて滲み出てくるものなのです。
それに対して【オーラ】というものは、人間が生まれた時から備わっている資質のようなものです。
私という人間は、自分の目で確かめたり、実際に体験しないと信じない性格なので、
これまでこの【オーラ】というものの存在を認めた事がありませんでした。
しかし、私はある時一人の女性に出会った事により、初めて人が発する【オーラ】というものを実感する事が出来ました。
生まれながらにして備わっているこの【オーラ】というものは凄いものです。
心に愛がなければ、人を救うというような事は決して出来ないと思いますが、この愛というのは恋愛の愛ではありません。
男女の愛ではなく、人間を愛する愛の事です。
私は心の修行を追い求めていく上で、
常に念仏のように「神・仏の道を踏みはずす事がないように、私を導いてください!」と、祈りながら日々修行をしています。
修行をする場合には、常に自分の進むべき道が逸れていないかどうかを確かめてくださる人、
あるいは確かめられる修行場所を持つ事がとても大事だと思います。
私もいつの日か近藤勇のような【本物の習気】が漂う人間になりたいと思っています。