私たちはお詣りへ行く際には【白装束】で行く事にしています。
なぜ【白装束】で行くのかというと、それはもし修行中に死んだとしても本望だという覚悟の印なのです。
修行は旅行ではありません。だから観光気分のような浮ついた気持ちでお詣りをされては困るのです。
【白装束】は『死装束』です。
もし、修行中に死んだら、そのまま棺に入れてもらえばいいという事なのです。
【白装束】姿でお詣りというと、どこかの新興宗教のように思われそうですが、そんな事はどうでも良いのです。
お詣りは【覚悟】が大事だからです。
命掛けでやるからこそ、想いが神様に通じるのです。
お詣り(修行)は、信じ尊ぶ事を表す行動ですから、お詣り(修行)というのは本来無事に帰って来られるように祈りながら行くものではありません。
【生き様・死に様】は、そのままその人の来世に繋がって行きます。
人間が生きて行く上で大切な事は、『他人のためにどれだけの汗や血を流せるか?』なのです。
つまり『この世で、いかに上手く生きられるか』ではなく、『他人のためにどれだけの事をして死ねるか』が重要だという事です。
今から約390年前、江戸幕府は隠れキリシタンを探し出すために【踏み絵】というものを用いました。
日頃、信仰を強く持っているように見えたキリシタンでさえ、本当に心が定まっていない者はキリストの絵を踏んでしまいました。
大事なのは【その時の行動】です。
是非、来世に繋がる一歩を踏み出してもらいたいと思います。
私は【踏み絵】を前にした時、胸を張って「私はキリシタンです!」と言って死にたいものです。