人間が生きていくためには、何といってもメンタル面が強くなければ、この世の荒波を乗り越えて行く事は出来ません。
昔から、男が一歩外に出れば7人の敵がいると言われていたぐらいですから・・・。
ここで間違ってもらって困るのは、『メンタル面が強い』というのと『我が強い』というのは、全く意味が違うという事です。
『我が強い』というのは自分を信じる力が強い人の事であり、これは本当に困ったもので、
例えば私が「あなたの場合はこうすると幸せになりますよ!」と、神仏からの啓示を伝えたとしても「ハイ」と言えないのです。
このように『我が強い』人は、結局自分の信じた道を歩いて行きます。
このような人は、霊能者の所に来る必要はないと思います。
私たちは以前とても【我が強い人】が伊勢神宮を参詣したいという事でしたので、伊勢神宮へ連れて行った事がありました。
すると、この【我が強い人】は内宮を目前とした所で、
突然私たちのマイクロバスから降りて一人で東京に帰ってしまったのです。
それによってホテルと常に連絡を取っていた妙光と、当日キャンセルされてしまったホテル側は大迷惑を被ったわけです。
しかし、当人からは最後の最後まで謝罪の言葉は一切ありませんでした。
このような『我が強い』人間には、行きつく所まで行かせて苦労を体験させなければ気づきません。
私の言うところの『メンタル面が強い』というのは、【信念が強い】という事です。
普段、特別な事がない限り『自分のメンタル面が弱い』とか『信念が弱い』というのは、あまり気づかないと思います。
何かハプニングが起こった時に、初めて自分自身の【メンタル面】に気づかされるのです。
たとえば、ピンチに襲われた時とか、急な病気を患った時とか、
大概の人間は「どうしよう・・・どうしよう・・・」という事になってしまうものです。
実はそういう時こそが、生きていく上での【勝負どころ】なので、気持ちが萎縮してしまうようではどうしようもありません。
そんな時こそ【なるようになる!】と開き直って生きる事が大事です。
硬くならずにピンチを楽しめば良いのです。そうすれば、面白い展開になって行くからです。
それこそ「ここで、もし命を落とすようなら、それまでの人間でしかないのだ・・・」
というように、身を任せてしまえば良いのです。
「いつ、どこで、どんな風に死んだとしても本望だ!」と言えるような生き方を普段から心掛けるべきだと思います。
悔いが残らないように、精一杯命掛けで生きる事が大切なのです。
私はいつも霊視やお祓いなどをしている時に『他人様のお役に立てて死ねるのなら、いつ死んでもいい!』と思って生きています。
なぜなら、そういう生き方こそが【来世に繋がる生き方】だからです。
私は常に何を最優先にしなければならないかを考えて生活しています。
人間の命など実に儚いものです。
限られた時間内に自分に与えられた能力を、私の家族も含めた自分以外のすべての人々に活かせたなら、
こんなに素晴らしい人生はないと思っています。
神仏の意思に身を任せながら生きるという事は、捨て身になるという事です。
実はこの【捨て身の人間ほど強いものはない】のです。
私はスリランカで自分自身を鍛えながら、与えられた時間を大切に活かし、沖縄を拠点に生きて行きたいと思ってます。