「前世の記憶」
私は【前世】からの魂を供養するために、津々浦々の『古戦場跡』や『史跡』を巡り敵味方の区別なく皆さんを供養して参りました。
ただ、これまでに私が供養をするために行ったにも拘らず、
お一人だけ私自身が供養を拒否してしまったという事がありました。
それで私は改めてご供養に行って参りました。
朝6時に起床し明石大橋を渡ったのですが、もの凄い雨のために眺望を楽しむ事は出来ませんでした。
向かった先は、淡路島近くの沼島(ぬしま)。
沼島へ向かう途中、私の両目が開かないのには閉口してしまいましたが、
それでもなんとかスタッフの運転で、土生(はぶ)に辿り着くことが出来ました。
そこから9時出航の【しまかぜ】という船に乗り、約10分で海を渡り沼島に到着しました。
ここは沼島水軍を支配していた梶原一族の祖『梶原景時』の墓があると言われている所です。
梶原景時は平安時代末期、源頼朝挙兵後の最初の源平合戦である石橋山の合戦で平氏方として源頼朝の軍を破りました。
しかし、梶原景時は洞窟に潜んでいた源頼朝を故意に見逃し、後に源氏が復活した際には源頼朝方に付いたのです。
その後の【源平の戦い】では、桓武平氏でありながら源氏方に付き平家を滅ぼし、
源頼朝が死ぬまで側近として勢力を振るっていましたが、『告げ口』が災いして鎌倉を追われ討ち死にした人物です。
私と梶原景時が【前世】でどのような関係だったのかは分からずに沼島へ向かう事になったのですが、
何故か私は沼島へ行く前日から、まるで風邪をひいたかのような状態になってしまい、
沼島へ行けるかどうかという具合になってしまいました。
結局は【霊障】だったようで、私の身体が何らかのものに反応してしまったのでした。
私にはよくある事なのですが、とても厄介です。
沼島に着いた頃には、幸いにも私の体調も良くなり、雨もあがりベストコンディションになりました。
沼島に着いて早速、弁財天神社・八幡神社・おのころ神社・梶原景時のお墓をお参りして
11時20分の船に乗って帰って来ることが出来ました。
沼島の八幡神社は、梶原俊景の時代に京都の石清水八幡宮の分霊を勧請したそうです。
私たちは沼島の主だった大事な所をお参りして帰って来ましたが、【前世の記憶】というのは、何に反応するかわからないものです。
今回、私自身が気づいた事は、少なくても私の【前世】は梶原景時の反対側にいた人物のようだという事です。
やはり何度も繰り返し訪ねなければ、ハッキリした事は分からないものです。
【前世の記憶】というものは、本当に不思議なもので突然に意外な所で思い出される事があります。
例えば、人に会った瞬間に「私はこの人の事、嫌い!」と思ってしまう事があります。
これは【前世】で、相手にとても嫌な事をされている場合が多いようです。
また、目的地に到着した途端に、突然体調を崩してしまう事があります。
こういう時は、案外敵陣だったりする事があるようです。
これは全然別の話ですが、【前世】でとても仲の良い夫婦だった場合は、
お互いに生まれ変わった後に年齢の差を超えて惹かれあう事もあるようです。
【生まれ変わる意味】というのは、【前世】での失敗を繰り返さないようにするためですから、
せっかく生まれ変わったチャンスを遺恨を晴らすために使ったのでは
元も子も無くなってしまいますから、やめた方が良いと思います。
【因果は巡る!】ですから、何度も同じ過ちを繰り返してはなりません。
目次へ戻る