霊能力者への道
【芸人】は、無名ではなかなか食べていけませんから、人を笑わせたり驚かせたりして【有名】にならなければいけません。
しかし霊能力者は【芸人】ではありませんから【無名】であっても問題ありません。
なぜなら、相談者の方々を納得させるだけの霊能力があれば、徐々に【口コミ】で広がっていくからです。
霊能力者は、霊能力を研きながら【道】を究めていく事が修行ですから、ある意味【武士道】に通ずるものがあると思います。
私は映画『雨あがる』のような侍になりたいものです。
決して荒行をするのではなく、武士道と同じように【心】を研鑽して行くのです。
生前、我が師匠(十条の先生)が面白い事を言っていた事を思い出しました。
「佐藤(日宗)さん、プロレスは見るかい?」と言うのです。
師匠は一体何を言い出すのだろうと思っていたら
「プロレスを見ると『なにくそ!』という闘志が湧いて来るから見なさい!」
という事だったのです(笑) 。
そんな事をフッと思い出し『プライド』という格闘技の試合を見た事がありました。
同じリングに上がる者同士でも、目指す【場所】が違うと、
こんなにも違いが出てしまうものなのか・・・と、
しみじみと感じたものです。
『エンターテイナー』と『侍』じゃ勝負になりません。
私は『エンターテイナー』ではないので、真剣に【道】を極めて行きたいと思います。
世の中には実力もないのに、結構【自信家】がおります。
神様はそのような【おごる者】に、 決して霊能力を授けません。
思い起こせば今から約30年前「あなたも私のようになりますよ!」と師匠に言われ、
私はその師匠の教えのままに歩いて来ました。
そして私はいつの間にか『祝詞』や『お経』が読めるようになり、気がつけば【霊視】が出来るようになっていたのです。
初めの頃は、師匠と同じようには視えず「あなたには、そう視えるんだね!」と言われておりましたが、
次第に同じ答えを出せるようになって行きました。
これは師匠が私の後ろからパワーを送り込みながら、一緒に霊視をしてくださったお陰なのです。
この広い世の中には【霊視が出来る人】というのは、結構いらっしゃると思いますが、それだけでは何の意味もありません。
霊たちを視た時に、その霊たちが【何を求めているのか?】を理解できなければ、ただの傍観者と何ら変わらないからです。
やはり、霊能力者として大事な事は【視えたものを、どう対処できるか?】だと思います。
三輪山でもおりましたが「私は霊が視える・・・あるいは霊感がある・・・」と言って、
霊能力者きどりで人をたぶらかしている人がいます。
私は本物の霊能力者(十条の先生)を見て育っているせいか偽者を見ると、懲らしめたくなるのです。
私も【霊能力者きどり】と言われないように、精進していきたいと思います。
霊能力者として「可もなく、不可もなく!」などと言われるようじゃ、我が師に申し訳が立たないですから・・・ 。
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