兵庫県神戸市 敦盛塚 編
兵庫県神戸市須磨区一の谷町5丁目
交通:山陽電車須磨浦公園駅下車徒歩約5分
この付近は源平一の谷合戦場と知られ、寿永3年(1184)2月7日に、当時16歳の平敦盛が熊谷次郎直実によって首を討たれ、
それを供養するためにこの塔を建立したという伝承から、”敦盛塚”と呼ばれるようになった。
一の谷と戦の濱
1184年(寿永3年)2月7日の源平の戦いでは、平氏の陣があったといわれ、
この谷を200mあまりさかのぼると二つに分かれ、東の一の谷 本流に対して、
西の谷を 赤旗の谷と呼び、平家の赤旗で満ちていた谷だと伝えられている。
一の谷から西一隊の海岸は、「戦の濱」といわれ、
毎年2月7日の夜明けには松風と波音のなかに
軍馬の嘶く声が聞こえたとも伝えられ、
ここが源平の戦いのなかでも特筆される
激戦の地であったことが偲ばれる。
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