徳島県祖谷編
日本三大秘境のひとつに数えられる東祖谷山村。
屋島で源氏との戦に敗れた平家一門の平国盛ら100人余りは、平家の再興を図るべく
安徳天皇を守ってこの地に落ち延びました。
四国の中央地帯の閑静な山里に雅な趣が残るのも、こうした歴史の影響があるからなのでしょうか・・・
歴史民俗資料館では、
【平家落人の里】ならではの古文書、武具をはじめ、
興味のつきない歴史の足跡がうかがえます。
武家屋敷 喜多家
江戸時代中期の1763年に建築された、祖谷の名主であった喜多家の屋敷。
すぐそばには、平国盛が手植えしたとされることから、
「国盛杉」と呼ばれる樹齢800年余りの県下一の鉾杉
(県指定天然記念物)が樹姿整然とそびえ立っています。
阿佐家
平国盛の直系の子孫と伝えられる旧家で、
現在は第23代当主が居住。
国盛が持っていたと伝えられる大小二流の平家の赤旗(軍旗)や名刀が残されています。
平家屋敷
安徳天皇の御典医である堀川内記は、平家滅亡の後、残党と共に祖谷に入山しました。
平家の盛衰と共に戦場に翻っていた赤旗
かずら橋(西祖谷)
伝説によると、弘法大師が当地を巡行した際に創設したという説や平家の落人が追手を逃れるため切り落としやすい橋を架けたのだ
という説もありますが定かではありません。
かずら橋(東祖谷)
剣山(標高1,955m)を源とする祖谷川の清流をまたぐ奥祖谷かずら橋。
その昔、平家の落人が追手を防ぐため、いつでも切り落とせるように「しらくちかずら」でつくった橋といわれています。
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