宮崎県椎葉村しいばそん

〜那須大八郎と鶴富姫の悲恋の地〜

椎葉村は日本の方言研究の出発点となった場所であり、神楽やひえつき節の里としてよく知られています。

年間多重多様な芸能が演じられ、民謡なども歌い続けられているところでもあります。


霊能者日宗が歩いた巡礼記/宮崎県椎葉村の地図

私は 基本的にどこへ行く場合でも下手な先入観にとらわれないように

あまり下調べをしないで行くことにしています。

とにかく自分の目で確かめ、自分の体で万物を感じたいからなのです。

この度は宮崎県の平家落人村である椎葉村へ行ってまいりました。

宮崎空港から車を飛ばして約3時間ちょっと( かなり飛ばしました・笑 )最後の約24kmは、

ところにより車がすれちがえないほどの道が何ヶ所かあったほどの場所でした。

それほどの道を約800年前の平家落人の方々は歩いて通ったわけです。


今回はとても不思議な感覚におそわれながら、椎葉村へ向かうこととなりました。

道中なぜか、いとおしい人に会いに行くような、とても いとおしくてしかたがない!というような、

わけのわからない衝動にかられたのです・・・・・

その答えは椎葉門(写真)といわれる所に到着した時にわかりました。

椎葉門


今から約800年前、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の残党は四方に逃れ、
その一部は山深き、
日向国ひゅうがのくに椎葉山中へ分け入り、ここを隠れ里と定めた。


ところがこのことを知った鎌倉幕府は平家追討の命を「扇の的射」で知られる那須与一宗高に与えたが、

与一は病のため替わってその弟大八郎宗久に追討を命じ、日向国に下向させた。

世の功業戦宝も振り捨て唯谷川のせせらぎで鳥の声を慰めとして

一途に山の庵に渡世する衰微した落人を目の当たりにした大八郎は深く哀れみ、

平家尊々の厳島神社を椎葉山中に祀るなどして平家の人々に徳を持って導いた。


滞在3年、大八郎は平清盛の末族と言われる鶴富姫と恋仲になり、

やがて鶴富姫は大八郎の子を宿したが、運命の訪れは非情で鎌倉幕府により大八郎に帰還の命令が下った。


悲しみに暮れる鶴富姫に大八郎は名刀天国丸とお墨付きを与え
「生まれた子が男子なら、わが故郷
下野しもつけの国へ女ならこの地で育てよ」

と言い残し、住み慣れた山里を後に鎌倉に向かい出立した。


生まれた子は女の子だったため婿をとり、名を那須下野守宗久と名乗らせた。

霊能者日宗が歩いた巡礼記/宮崎県椎葉村 椎葉厳島神社 霊能者日宗が歩いた巡礼記/宮崎県椎葉村 椎葉厳島神社


那須野大八郎宗久が勧請した平家守護神 椎葉厳島神社

御祭神は、
市杵島姫命いちきしまひめのみこと素盞鳴命すさのおのみこと

霊能者日宗が歩いた巡礼記/宮崎県椎葉村 鶴富姫のお墓
鶴富姫のお墓



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