57. 最期を知るということ

by:ただいま修行中


2月27日の霊視で母方の叔父の命が長くない。



その日が来たら良くお参りしてきてくださいと

日宗先生に教えていただきました。



叔父は9年前に白血病を発病し、

良くなったり悪くなったりで入退院を繰り返していました。



その間、お医者様に危ないと言われたこともありました。



今は入院中とはいえ、それほどひどいとは聞いてないんだけど… 

でも今度は本当なんだ。



お見舞いに行ければいいんだけど、母は神様ごとも先生のことも認めようとしない人なので、

先生がそうおっしゃるから行こうと言って聞いてくれるはずもないし、

その日が来るのを待つしかないのかなぁ… ともやもやしながらお堂から帰って来ました。





それから変な時間に電話が鳴るとその度に叔父の訃報かも…とドキッとしながら1ヶ月が経ち1ヶ月半ほどになり。

待っているわけではないのですが、でも『長くない』はいつのことなんだろう…と思っていたら

4月16日の夜に母の姉から『叔父さんの意識がなくなったらしい。』と連絡がありました。



あ…とうとう来ちゃった… これは母に伝えねば〜 

でも、どう伝えたらいいんだろう…?



出てきた言葉は平凡な『明日でもお見舞いに行って来たら?』

でも返って来た答えは『なんで、行かなアカンの?』

心の中で『だって、もう会えなくなるんだよ〜』でも言えない…





母としては弱った弟の姿を見たくない、まして死は受け止めたくない、意識がないといってもまた復活するはずだし、

今行かなくても大丈夫と思っての返事だということはわかったのですが、

でもこのまま姿を見ないで亡くなったら後で後悔するだろうし、お見舞いに行く気になる方法はないかなぁ〜と思ってたら

そういえば…ということを思い出して。





母は翌17日に病院に行く予約を入れていたのですが、なんと先生にご不幸があったそうで、

16日の朝に先生の方から明日は休診になりますと連絡が入っていたのです。



そして私も17日の仕事のキャンセルが16日に入ったため、17日は休み。



こんなことが2つも重なるってのは普通じゃないし、これはおじさんが呼んでると思うし、

私が車で送るしお見舞いに行こうと言えば、母の心も動くのでは?

母にはお姉さんと妹さんがいてお二人とも病院の近くに住んでいるので、

ついでに誘えば叔父も喜ぶかな?という気がしてきました。





思いついたことを丁寧に話したつもりなんですが、それでも始めは行かないと言って、

もう、だめかぁ〜と思ったら、さすがに母も覚悟を決めたのか、じゃ〜行くわ〜としぶしぶ返事をし、

オバ達にも連絡を取り4人でお見舞いに向かいました。



向かった病室はナースステーションの前。しかも3人部屋の1番手前。



そうだよな〜と思って寝てる人を見たら 見覚えのない人。



叔父は体が大きく豪快な人だったのに、

そこにいる人はとてもちっちゃく、息をするのもとってもつらそうで。



話の通り意識はなさそうだけど、でも私達が来たことはわかってくれた気がしました。



目もつぶってるし、話すこともできないけど、手を少し動かそうとして、

叔父なりに懸命に来てくれてありがとうと伝えようとしてるように私には感じました。



ベッドは病室の入り口だし、そんなに広くないので看護婦さんの出入りがあるととても邪魔なので、

叔父の所ではそんなに長居せず叔父のお嫁さん(もちろん叔母ですが)の案内で

病棟の外の喫茶店でお茶をした時に叔父の様子を話してくれました。



12日にナースステーションの前の病室に移ったそうで、その時でもお酒が飲みたいなぁ〜と話したり、

桜の時期には『下にお花見でも行きませんか?』って看護婦さんが誘ってくださったら、

野球見るのが忙しいからええわ〜 なんて答えてたそうで。



ほんの数日前の話なのに、今はあんなに苦しそうなんて…

覚悟して行ってもやっぱり、辛いなぁと思いながら帰って来ました。





その夜に『今日はみんなを連れて来てくれて本当にありがとうね』と

叔母が電話で何度もお礼を言うてくれました。



叔母としては死期が近いかもと思う反面、まだでも〜って思ってる感じはあったので、

気を悪くしないかなぁ?と心配だったのですが、まったく逆で母達に姿をみてもらえて良かったと思ってくれたようで、

そのことが私もありがたくとても嬉しかったです。





意識がなくなったと聞けば近いのかなぁ…というのは誰でも思うことですが、

叔父の場合はそれが今までにも何度かあったので、今回聞いても、また回復するかもねぇ〜とタカをくくってたと思うし、

母をなんとか説得しようとも思ってないと思います。



ちゃんとお別れをするというのは亡くなる人のためでもあり、

送る側のためでもあると思います。



最期がわからなければ、ああすれば良かったこうすれば良かったと

自分を責めると思います。



私は残念ながらお葬式には参列できなかったのですが、私が与えられた役目は果たせたし、

叔父は来れなくても大丈夫だよと言うてくれるはずと勝手に満足しています。



こういう気持ちで送れたのは

最期を教えて下さった神様や仏様そして何より先生のおかげです。



本当にありがたいと思います。





最後に… 4月21日に旅立ったおじちゃん、息することがあんなに苦しそうだったのに、

最後まで懸命に生きようとしていた姿。決して忘れません。



命、そして生かされてる有難さを体を張って教えてくれて、ありがとう。



兄姉妹の中で一番先にこの世を卒業したので、こちらに心残りがあるかもしれませんが、

心配せずにそちらでのんびり過ごして下さいね。



そして、魂が癒され落ち着いたらどうか次の世へと幸せに進んで下さい。



来世でのご活躍、心から願っています。



霊視で先生に姿を見せ、私たちを呼んでくれて、ありがとう。



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