霊能者の寝言☆荒行するなかれ!☆霊能者の開運霊視

霊能者の寝言

荒行するなかれ!


お釈迦様の弟子1250人の中に『神通力第一』と言われた目連(もくれん)という方がおりました。

 
この目連は神通力によって餓鬼道に堕ちて苦しんでいる母の姿を視て、

お釈迦様に「何とか母を救えないでしょうか?」と尋ねました。

 
すると、お釈迦様は

「7月15日にお供え物をたくさん用意して供養をしてあげなさい!」

とお答えになりました。

 
目連はお釈迦様の教えに従い行った法会が、
 
今のお盆(盂蘭盆会)の行事になりました。

 
お釈迦様は神通力を認めてくださっていたわけです。

 
そのお釈迦様の弟子である日本の僧侶の中には≪神通力≫も
≪霊の存在≫も認めない僧侶が増えているようです。

 
そんな霊を信じない僧侶がお盆やお彼岸に霊供養をするのですから不思議でなりません。

 
霊の存在を認めない人が霊の供養をしても、
 
相手(霊)に通じないと思うのですが・・・。

 
心の底から霊の存在を認め、霊の心を理解しようとする人に供養してもらってこそ、

霊の心が癒されるのではないでしょうか?

 
また、修行者のなかにはこの目連のような神通力を得ようとして荒行をする方がおります。

 
しかし、これはとんでもない間違いです。

 
荒行を成し遂げることは自分に自信をつけることができ、
 
とても素晴らしいことです。

 
しかし、へたをするとこの自信が過信となって自我を増長させ

「私がやれば何だって大丈夫!・・・」

というように【自我】を育てる結果になってしまうことがあります。

 
荒行を志す人はよくよく注意しなければいけないと思います。

 
もしもそのようになってしまったら、今までの修行が台無しになってしまうからです。

 
本来、修行の目的というのはこの【自我】を捨てることにあるからです。

 
神通力というものは、荒行をしたからといって身につくものではありません。

 
無理・無茶をせずに自然体で修行をしていった副産物として与えられるものなのです。

 
私が住んでいた柏市に親子3代に渡って和菓子屋を営んでいるお店があります。

 
そのお店の先代の店主さんは、

毎月必ず守っていただいている3ヶ所の神社にお礼参りをしておりました。

 
このように修行は自分に必要な神社や仏閣に無理をすることなく、

しっかりとお礼参りを続けていけばそれで充分なのです。

 
自宅では神様・仏様・ご先祖様に対して、

朝起きた時には

「おはようございます。日々私をお導きいただきありがとうございます。」


一日の終わりには

「今日も一日お導きいただき、ありがとうございました。」


でいいのです。

 
そして、外出から帰った時には【みそぎ】をすると尚良いと思います。

 
この【みそぎ】とは、神事などの前に川などで身を清め洗うことをいいます。

 
『水の浄化力によって身を清めることで、神様へ近づくことが許される』 というのです。

 
身を水ですすぐことから【みそぎ】という言葉が生まれたとされています。

 
私たちは外出することによって、

知らず知らずのうちに様々な邪気や 悪い霊気をいただいてしまうことがあるものです。

 
その防御策として、帰宅したらまずお風呂場へ向かい、

シャワーなどによる【みそぎ】をすると、快適に過ごせると思います。

 
修行とはほんの些細なことの積み重ね、日々の心がけがとても重要なのです。

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