習気(じっけ)とオーラ





私が苦悩していた時のこと、

友人から【習気】という言葉を教えられました。



【習気】というのは、トイレにしみついた臭いのことをいうのだそうです。



このトイレの臭いというものは、いくらきれいに掃除をしても

壁や板に染み付いてなかなかとれないものです。



この臭いというのは、人間にもあてはまるモノがあるようです。



例えば、

「私は誰よりも賢い人間で、私に勝てる者などいやしない!」

などと思っていると、その事が次第に態度に現れてくるものです。



大体こういう人間は、

世間の人からは敬遠されてしまうのがオチなんですがね・・・。



出来ればこういう人間にはなりたくないものです。

(自分への戒めです。笑)



世の中には、上には上がいるものですから、

どこまでも謙虚に生きるべきです。



つまり習気というのは、その人の心のあり方が反映されて、
 
滲み出てくるようなもののようです。



それに対してオーラというものは、その人個人が生まれた時から、

そなわっている資質とでも言いましょうか?



例えば、高貴な香りのように・・・。



そういった要素のものが

体の中から発散するもののことを言います。



私という人間は、わりと自分の目で確かめたり、

実際に体験したりしないと信じない性格なので、

今まではこのオーラというものの存在を認めたことがなかったのですが、

ある女性に出会い、初めて人が発するオーラというものを

実感することができました。



生まれながらにして備わっているこのオーラというものは、

すごいものです。



今の私には持ち合わせていないようです。残念!

しいて言えば、酒の臭いが漂っているくらいでしょうか?(苦笑)



私の場合、もっともっと心の修行を積んでいかなければいけないなぁ~

と、つくづく感じています。



心に愛がなければ、

人を救うというようなことは決してできないと思いますが、

この愛というのは、恋愛の愛ではありません。



男女の愛ではなく、人間を愛する愛のことです。



私は、心の修行を追い求めていくうえで、
 
常に念仏のように、

「神・仏の道を踏みはずすことのないように、私を導いてください!」と、

祈りながら日々修行をしているのですが・・・。



ちょっとでも油断したり、鼻高々となって傲慢になってしまったりすると、

神・仏は今までに、どんなに良いことをしたとしても、
 
あっという間に、私のもとから離れていってしまうものなのです。



だからこそ、常に自分が道をそれていないかどうか?

を確かめられるような人、

或いはそういう修行場所を持つことがとても大事なのです。



私もいつの日か、良いオーラを出せるような人物に

なりたいと思って修行しています。
 
 
 
 

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