師匠と共にお参りすると





私の修行時代、師匠(十条の先生)と共にどこかへ泊りがけで

お参りに行くときは、十条の先生を車で迎えに行き、食事代から

宿泊代、そして同行してくださったお礼を包ませていただいておりました。



それは、十条の先生が私達のために貴重な時間を割いて、私達と

共に歩いてくださり、有り難い教えを授けてくださるわけですから、

お礼を包ませて頂くという事は、ごく当然のように思っていました。



しかし、今の時代はこの『当然のこと』が解らないのです。



師匠に連れて行ってもらうのが、

むしろ当然という感じなのです・・・。



しかも自分が誘ってもらえないとなると

「なんで私は連れて行ってもらえないの?」
 
とばかりにひがまれてしまうのですから、何かおかしい気がします。



本来なら、

お参りは一人で歩きながら大切なことを見つけていく【一人行】が

当たり前であって、
 
師匠が共に歩いてくださるというのは、

むしろ特別なことであり、とても意味のあることなので、

【感謝】しなければいけないことなのです。



現代は、先生と呼ばれる者自身が、相談者のお参りの為に車を運転し、

相談者の家まで迎えに行き、自分にかかる費用を自ら出し、

相談者を家まで送り届け・・・あげくのはてには、

疲れて気が立っているのか?
 
同行者に文句を言われ、

嫌な雰囲気で帰途に着くという・・・

馬鹿みたいな現実に直面しています。(苦笑)



相談者のために良かれと思ってしていることが、

相談者の【感謝】の気持ちをにぶらせ、

かえって導く者としての【威厳】を傷つけているとしたら・・・

なんと、皮肉なことでしょう。



いつまでもこんなことを繰り返していたら、

先生と呼ばれる者も、その相談者も共に神様からあきれられ、

見放されてしまうことになってしまうことでしょう!



先生と呼ばれる者は【導く者】としての威厳を持つべきであり、

相談者は先生の与えてくれたことに対して、

もっと感謝の気持ちを持って【有り難く】受け取るべきだと思います。



与えてくれることを、当然と考えているとすれば、

それはとんでもない思い上がりであり、とても傲慢なことだと思います。



しかし、私は受け取る者ばかりを責めているのではありません。



たとえ、相談者のためを思ってした行動だったとしても

導く者としての【威厳】を相談者に示さない、

このような自らに甘い者もまた同罪と言えるでしょう。



師匠と共にお参りするということは、

【一人行】の力では感じられない事を、

師匠の力の導きによって神様を感じることができたり、

【有り難いもの】を授かったりすることができるので、

本来は物凄くありがたい事なのです。  
 
 
それが解らないようじゃ、一緒にお参りしても意味がないと思います。
 
 
 

                                目次へ戻る