霊能者の寝言☆定義如来と金華山☆霊能者の開運霊視(人生相談の場所)

霊能者の寝言

定義如来と金華山


昔、鮎川の御番所公園で浜風に吹かれながらブログを書いた事がありました。



鮎川の御番所公園は、仙台藩が黒船を監視する番所跡だったそうです。



あの日の前日は【定義如来と金華山】へお詣りに行って参りました。



皆さんも御存じのように【定義如来】は、平家の落人・ 肥後守平貞能(ひごのかみたいらのさだよし)公が

安徳天皇の菩提を弔い、源氏の滅亡と平家の再興を願った所です。



そして、【金華山】は弁才天様が祀られており、こちらの弁才天様は日本五大弁才天の一つに数えられています。


【金華山黄金山神社】では、7月に龍神まつりが行なわれます。



あの時は、高速海上タクシー『くろしお3号』に乗って金華山へ行って来ました。



荒波を乗り越え、なかなかの迫力でした。



あの日の前夜は『あゆかわ荘』に泊めていただきました。



色々な所をお参りしていると、様々なお詣りの仕方を目にします。



そこで感じる事は「何をするにも、まず形から入る人がいるものだな〜」という事です。



例えば、野球がしたいと思えば、まずは高価なグローブやバ ットそしてスパイクを買い揃えるような感じです。



見た目は野球選手そのものですが、実際に野球をやらせてみると、案外見掛け倒しという事がよくあるものです。



何事も能書きは立派でも、やらせてみるとサッパリというのではどうしようもありません。



まず初めに大事なのは形ではなく、やろうとする【心構え】だと思います。



格好なんてどうでもいいのです。



例えば、修行僧が印を結んだりお経を読んだりしてお詣りしている姿を見掛ける事がありますが、これだって同じ事です。



格好良く印を結んだり、お経を上手に読めたからといって、目指す目的が達成できなければ、なんの意味もありません。



わが師匠は、パッと見はどこにでもいる普通のお婆さんそのものでしたが、いざとなるとまるで別人でした。



神社・仏閣へお詣りに行っても、派手なパフォーマンスをするわけでもなく、普通にお詣りをしてくるお婆さんでしたが、

一度【霊視】が始まると、私しか知らないような事を次々と言い当てるのです。



「なぜ師匠には分かるのだろう?」と思うような事が日常茶飯事でした。



【本物】というのは「ここぞ!」という時に力を発揮するものだと教えられた次第です。



やはり、いくら着飾っても【心】が出来ていなければ、本当の力を授かる事も出来ませんし、その力を活かす事も出来ないと思います。



【本物】というのは、心も本物なのです。



先日、ある方から「心・心・心が大事という人に限って、心が伴っていない人が多いものです!」と言われました。



私も心を失わないように、気をつけたいと思います。



心を成長させるというのは、本当に大変な事ですから、頑張らずに自然体でやって行こうと思います。

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