前世とのつながり




私が、福島の自衛隊にいた頃、銃剣道という戦技を主にやっておりました。



その時に、顔を会わせる度に「お前は必ず強くなるから、頑張れ!」と言って、

励ましてくださったのが、片倉さんという上司でした。



その当時は、今みたいにいろんなことを知るすべもありませんでしたから気づかなかったのですが、

私の母方の先祖は、伊達政宗公の家臣だったと聞いておりますので、

もしかしたら、伊達政宗公の右眼と言われた名将、片倉小十郎景綱さんとも面識があったのかもしれません。 



それから、なんといっても自衛隊で現実的にお世話になったのは、

会津出身の諏江さんと青森出身の千葉さんです。



当時福島の部隊では「団体戦の諏江、個人戦の千葉」と、言われていたほどの猛者でしたが、

私は、おそらくお二人とも平家の血と、江戸時代の幕末は会津藩士の前世を持っているのではないかな?

と思っております。



戊辰戦争後の会津藩士は、ほとんどが青森や北海道に飛ばされてしまいましたから、

本当の会津藩士は今の会津にはほとんどいないそうです。



寂しいですね〜。



それはそれとして、私はあるとき急に会津に行きたくなりまして、

10月下旬だったでしょうか?

私が前世でお世話になったと思われる、最後の会津藩主である松平容保(まつだいら かたもり)公の

お墓参りに行ってまいりました。



松平容保公は、幕末に長州藩をはじめとする幕府を倒そうと志す者たちから、

京都にいる天皇をお守りするために、京都守護職を任された方であります。



私は、その松平容保公にご縁があったようなので、

どうしてもお墓参りがしたくなり、会津へと向かったのです。



その途中、磐越自動車道のパーキングで休憩を取っていると、

私の名を呼ぶ声がするではありませんか・・・。



ふと、後ろを振り返ってみると、なんと親友の関君だったのです。



実は以前に、彼の霊視をしたことがあったのですが、

彼の過去世の内のひとつに新撰組隊士のときがあったようなのです。



会津藩と新撰組とは、切っても切れない深い縁がありますから、

そこで出会ったのも偶然ではないんでしょうね。



それと、もう一つ驚いたのは、

関君と一緒に来ていたのが、中学校の剣道部員だったことです。



もしかしたら白虎隊?と、皆で顔を見合わせて笑ってしまいました。(笑)



しかし、あの時代は本当に何かが狂っていた時代だったと思います。



天皇を守りに行っていた人たちが、賊軍と呼ばれ、

逆に天皇を連れ出そうとして当時の幕府を混乱させた者たちが、

官軍と言われていたのですからね・・・



そこの所が、どうしても納得がいきません。



明治維新は、結局クーデターを起こした長州藩・薩摩藩が勝利を納めましたが、

明治新政府誕生後、新しい国づくりを目指したはずの、長州の中で暴動が起こりました。



この暴動を起こしたのが、

なんと長州藩の中で特に明治維新で活躍した騎兵隊を中心とした人々だったのですから、

いかに明治新政府が初めの理想とはかけ離れた政治を行おうとしていたのかがうかがえると思います。



ここまでの話は、時代の流れですから仕方がないと思うのですが、

どうしても許せないのは、共に戦った同志である騎兵隊をはじめとする人々の処刑です。



私は、明治維新から西南の役に至るまでの戦場となったところをお参りしてまいりましたが、

その処刑と新撰組が行った粛清とやらがどうしても納得できません。



あの吉田松陰先生に武士道を学んだ武士、

そして武士になろうとして頑張った新撰組のしたことは、

反省しなければならない点があると思います。



そして明治政府は、明治維新最大の功労者である西郷隆盛や暴動を起こした騎兵隊の方々を

殺させてしまうような政治をしてはならなかったと思いますね。



本来、共に国を良くしようと思い戦い合って、武士道に殉じた者同士なのですから、

賊軍も官軍もないんじゃないですかね。



皆さんは、賊軍と官軍のお墓を見比べたことがありますか?



なるほど「勝てば官軍」と言われるゆえんだな・・・と、感じるはずですよ。



出来れば、ぜひとも差別することなくお参りしていただきたいものです!







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