前世とのつながり


私が福島の自衛隊に在籍していた頃は、【銃剣道】という戦技を主にやっておりました。

その当時、私は『片倉』さんという上司に出会う度に「お前は必ず強くなるから、頑張れ!」と励まされました。

あの頃は今みたいにインターネットが普及している時代ではありませんでしたので気づかなかったのですが、
『片倉』という名前を検索すると伊達政宗公の右眼と言われた名将、片倉小十郎景綱の名前が出て参ります。

私の母方の先祖は伊達政宗公の家臣だったと聞いておりますので、
もしかしたら先祖や前世の繋がりによって、私が『片倉』さんに励まされていたのかもしれません。



それから、なんといっても自衛隊でお世話になったのは会津出身の諏江さんと青森出身の千葉さんでした。

当時のお二人は福島の部隊においては【団体戦の諏江、個人戦の千葉】と言われていた程の柔剣道の猛者でした。

私はお二人とも平氏の血と、江戸時代の幕末は会津藩士や旧幕府軍の前世を持っているのではないかと思っております。



戊辰戦争後の会津藩士は、ほとんどが青森に飛ばされてしまいましたから、本当の会津藩士は今の会津には殆どいないと思います。


今から15〜16年も前の事ですが、私は突然会津に行きたくなり、
私が前世でお世話になったと思われる最後の会津藩主である松平容保(まつだいら かたもり)公のお墓参りに行った事がありました。



松平容保公は幕末に長州藩をはじめとする幕府を倒そうと志す者たちから京都にいる天皇をお守りするために【京都守護職】を任されたお方です。

私が会津の松平容保公のお墓へ向かう途中、磐越自動車道のパーキングで休憩を取っていると、
私の名前を呼ぶ声がするので後ろを振り返ってみると、そこにはなんと親友の関くんが立っておりました。


私は以前に関くんを霊視した事があったのですが、関くんの過去世(前世)の一つには新撰組隊士の時があったようなのです。

会津藩と新撰組とは、切っても切れない深い縁がありますから、あの時あの場所で出会ったのも偶然では無かったと思います。

それともう一つ驚いたのは、その時に関くんと一緒にいたのが中学校の剣道部員だったという事です。

私たちは、その剣道部員たちを見て「もしかしたら【白虎隊の生まれ変わり】かも?」と、言いながら皆で顔を見合わせて笑ってしまいました。

それにしても、あの幕末の時代は本当に何かが狂っていた時代だったと思います。


天皇をお守りしていた者たちが【賊軍】と呼ばれ、逆に天皇を京の都から連れ出そうとして当時の幕府を混乱させた者たちが【官軍】と言われたのですから・・・。

そこの所が、私にはどうしても納得がいきません。

明治維新は、結局クーデターを起こした薩・長・土・肥が勝利を納めましたが、
明治新政府誕生後、新しい国づくりを目指したはずの薩・長・肥で暴動が起こりました。



この暴動を起こしたのが、なんと長州藩の中で特に明治維新で活躍した騎兵隊を中心とした人々だったのですから、
いかに明治新政府が初めの理想とかけ離れた政治を行おうとしていたのかがうかがえると思います。



ここまでの話は、時代の流れですから仕方がないと思うのですが、どうしても許せないのは、共に戦った同志である騎兵隊をはじめとする人々の処刑です。


私は明治維新から西南の役に至るまでの戦場となった場所をお参りしてまいりましたが、その処刑がどうしても納得できません。@


あの吉田松陰先生に武士道を学んだ者たちは、反省しなければならない点があると思います。


そして明治政府は、明治維新最大の功労者である西郷隆盛や暴動を起こした騎兵隊の方々を殺させてしまってはならなかったと思います。


本来、共に国を良くしようと思い戦い合って、武士道に殉じた者同士なのですから【賊軍】も【官軍】もありません。


皆さんは、【賊軍】と【官軍】のお墓を見比べたことがありますか?


なるほど『勝てば官軍』と言われる所以だな・・・と感じる筈です。


出来れば、皆さんには是非とも差別することなく両方のお墓をお参りして頂きたいものです。



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