縁は縁を生む

              




「どうも、なかなか人生が思うように行かない・・・どうしたらいいだろう?」


という人々が私のもとを訪れます。




「こんな性格だから、駄目なんでしょうね・・・」

「性格は直りませんものね・・・」


とつぶやく人もいたりします。




しかし、人生とは自分の努力で歩んでいくものですから、

性格は変わりにくいかもしれませんが、

努力次第で物の見方・考え方は変えていけると思うのです。



今から14年前、私などは信仰と言う言葉自体ピンときていませんでしたし、

神仏におまいりすることは、

特別に何かがあるときに祈願しに行くものだ!

位にしかとらえていませんでした。



実際に山梨県身延町にある七面山に登り参籠した時も、

一緒に泊まっていらっしゃった方が、いろいろな日常でおきていることや、

修行して体験したことなどを聞かせてくださるのですが、

「へ〜・・・」という程度しか感じませんでした。



その時のメンバーの中には、

朝2時におきて四方八方の神・仏にお参りしてから、

一日が始まるという人も居りました。



しかし、その方が、

浅黒い顔をしていて目もとても充血していたものですから

「大丈夫なの?そんな生活して・・・」等と思っていたものです。



でも、そんな私が今、その方たちと同じように、

やはり夜中に家を出発し、伊勢神宮や出雲大社、

そして北海道から九州まで車で行っているのですから

人間というものは変わるものなのです。



私の座右の銘は、「人間到る処、青山有り」なのですが、

これは、

「人間どこで死んでも骨を埋めるぐらいの青々した山はある!」

の意味から、志を天下に求め、

どこで死んでもいいつもりで、大いに活躍することをいいます。



この暗いご時世でも、志を高く持って、

心豊かで才能ある人が適材適所で自分の能力を発揮していけば、

より良い国、より明るい世界を築いていけるのではないかと思います。



これは、私の持論なのですが、何かをしようと志したとき、

人間は一人では何もできないものです。

しかし、志を同じくするものが、一人、二人と増えていき、

共に生きていくことの出来る仲間が集まったときには

大きな事を成し遂げられるものだと思うのです。



誰でも前世と言うものがあり、

過去世において、共に生きた人たちがいた場所、

神社、仏閣等に足を運ぶという努力をする事によって、

目に見えない「何か」が動き始めることがあるのです。



私は以前、「桓武平氏」で有名な桓武天皇の御陵にお参りに行ったことが

あるのですが、その時にお世話になったタクシーの運転手さんの先祖が

平家の末裔で、平 時忠 公の家来だということで、

驚いたことがありました。



今の石川県方面に落ち延びた平家の武者たちは、平の姓を隠すために

例えば「平 時忠」であれば、名の「時忠」を姓に変えて、

「時忠 ○○」と名乗ったのだそうです。



縁とは、本当に不思議なもので、平家関係の供養をして歩くと、

その後に先祖が平家の方や、

前世が平家の武者だった方などが集まってくるのです。



先日は、南北朝時代の後醍醐天皇や足利尊氏公に関連する、

神社・仏閣・お墓などをお参りしてきました。



すると、早速、

その関係の人々が霊視の依頼に私のもとを訪ねてこられました。



お参りに行ったという「縁」が「縁」をよぶのでしょうか?



そういう事がとても多いのです。



このことは、一般的にもいえると思います。



前世、過去世において

共に生きたり、共に仲間として戦った人々のお墓参りをすることによって

その時代の生まれ変わりの人々と出会うことがあるのです。



そういう仲間と再びこの世において、力をあわせて何かを目指したならば

きっと良い生き方ができるのではないでしょうか?



私は、そう思って供養をしながら、

新たなる出会いを楽しみ修行しているところです。



「縁は縁を生む」もののようですよ。



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