自分の前世を訪ねて


私が自衛隊に在籍していた時は銃剣道という戦技に明け暮れ『気・剣・体の一致』を旗印に
「気迫で突け!足で突け!弱音を吐くな!」という掛け声と共に生きて来ました。



それから人生の方向性を180度転換し【戦いから癒しの世界へ】と変えて
「他人に喜んでもらえる事をする事によって、自分も生かされる・・・」という信念で、34年間癒しの道を歩いて参りました。


ここで弱音を吐くつもりはありませんが、今はとても清々しい気持ちになっているところなので、自分の気持ちをそのまま書きたいと思います。


皮肉な事ですが、これまでの私は「この人を何とかしなければ、この人は死んでしまう・・・」と思うと、
他の相談者以上に力を注いで治療をしたりお祓いをしたりしたものです。


しかし、残念ながらそのような相談者に限って、なぜか元気を取り戻した途端に「今までお世話になりました!」という言葉もなく、
酷い仕打ちで私の下を去って行くのです。



私としては「なぜ?」という思いが当然ありましたが、これも年のせいか慣れてしまって、今では肩の力が抜けて楽に生きられるようになっています。


結局は【自分さえ良くなれば、それでいい・・・】という方が多かったのでしょう。


私は【熱すぎる男】でしたので馬鹿みたいな失敗を繰り返しながら、これまで遠回りの人生を歩んで来たわけです。


しかし、神仏はこんな私の事を見捨てないで見守ってくださっています。


本当に有り難いと思います。


これまでは「他人のために!」という想いで、自分の体に鞭打って力以上の事をやって来ましたが、私の身体には所々ガタが来ているようです。



以前、自分というものを見つめ直す意味で、九州方面の私の前世に関わる場所を歩いて来た事がありました。


まずは、村上水軍の氏神様(大三島・大山祗大神)の所へ、次に【京の都】をしのぐほどの栄華を誇っていた大内家のお墓へ、

それから源平の戦いで亡くなられた方々の供養という意味で、壇ノ浦と赤間神宮を参拝し九州へ向かいました。


九州では、南北朝の時代に戦った方々(菊池武光公・菊池武敏公)の供養と佐賀の龍造寺家の方々の菩提を弔う意味で、
お線香を供えながら読経して参りました。


そして、私の前世(過去世)において呪縛されたであろうと思われる神社・仏閣などでは、呪縛を解く祈祷をして来ました。


これはその時に気づいた事なのですが、私はこれまで何人かの【宗像さん】という方に出会って来たのですが、
前世(過去世)においても、実際に宗像大社の宮司をしながら武将として活躍されていた方(宗像三郎氏俊公)と関わっていた事に気づかされました。


また、あの時は愛媛・山口・佐賀・熊本・大分・福岡・広島・島根を回って来たのですが、そこで気づかされた事は、前世と今は繋がっているという事でした。


平家の落人は西へ向かい、南朝方の落人は東北の方へと生きる場所を求めて行ったのだなぁ〜と、つくづく感じました。


人と土地との縁とは、私たちが想像している以上に深いものがあるようです。






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